2008年09月29日

明治時代の避妊法@

最近、明治時代の避妊法について調べる機会がありました。
以前、馬島|が1920年代に日本に紹介した方法として、ペッサリー、避妊ピン(子宮内異物装置法)、ヨーチン法をあげましたが、このうち、ペッサリーについては、さらに早い時期に使用されていたことがわかったので、お話したいと思います。
『懐妊避妊自在法』(1886年)によれば、明治前期には、アルコール等の薬剤を用いて精子を殺す方法、月経前後の一定時期の性交を禁止する方法、ルーデサック(現在のコンドーム)を用いる方法、電気の振動を用いる方法、性交前の酸性溶液による洗浄法などが紹介されていたようです。
明治後期になると、一般に流布された避妊法は、ほぼ以下の6つに絞られていたことが、『男女生殖健全法』(1900年、中央看護婦会)、『妊娠自在法』(1908年、日本医科学会)、『男女通俗秘密療法』(1908年、日本薬学協会)等を読むとわかります。
a.精子を殺すこと:キニーネで丸薬を作って、子宮外口を塞ぐ。かなり難しい。
b.一定時の性交を禁止すること:月経前2,3日、月経後15,6日以内の性交の禁止。不確実。
c.ルーデサックを用いること:いわゆるコンドーム。ゴムが破裂するおそれがある(この時代のコンドームは、破れやすかったようです)。
d.精液を膣外に射出すること:いわゆる膣外射精法。精液が膣内あるいは外陰部に残ることがある。
e.精液を洗浄すること:50倍のキニーネ水等を使用。性交後、すぐに行なわなければならず、遅れれば、精子が子宮内に入る怖れがある。
f.子宮口に栓をすること:海綿(タンポン)、ゴム、サック、綿球等。
いずれも確実なものはないというのが、これらの書物の結論ですが、唯一、『妊娠自在法』は、確かな方法として、3つの具体的な方法を紹介しています。
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2008年07月27日

小判型の沐浴槽

マクリについて調べながら見ていた書物の中に、小原頼之著『親ごころ』(1908年)という育児日記がありました(「近代デジタルライブラリー」)。
その通し番号19のところに、「独逸(ドイツ)式の消毒衣(白衣)を着たる産婆産湯を了(終)る」と題された挿絵があります。
ここで使われているのが、実は、小判型の小さな沐浴槽!以前、日本には、このかたち、このサイズの沐浴槽はなかったと書いてしまいましたが、特別なお家では、赤ちゃんの誕生に際し、こうしたものを用意していたのですね。
ページをめくると、サイズを示した図もあって(通し番号24)、長径が一尺六寸(48.5cm)、短径が一尺二寸(36.4cm)、高さが九寸(27.3cm)、というように書き込まれています。
この書物は、一般的な育児書とは異なり、小児科医の著者が、初孫の誕生後の、子育ての日常を綴ったという、たいへんユニークなものです。
この著者は、歌人・国文学者として有名な佐々木信綱家のかかりつけの医者でもあったようで、佐々木が校閲を行い、また、和光堂の創設者として名高い、医学博士の弘田長が監修するなど、巻頭には、当時のそうそうたる人物の名が連ねられています。
お隣りには、「臍の包帯」の解説もあります。これは、いわゆる臍の処置について示したものですが、産湯の後、できればアルコールで拭き、サリチル酸澱粉を振って消毒した後、ガーゼと綿で包み、包帯でお腹をぐるぐる巻きにするという方法を紹介しています。
「臍の包帯」と言っても、なじみのない方が多いかもしれませんが、1990年、フランスで、そっくり同じものを見たことを、いま、あらためて思い出しました。
100年以上、同じ方法を用いていたわけですが、現在でも、続いているのでしょうか。とても気になるところです。
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2008年07月08日

明治期の沐浴風景

「近代デジタルライブラリー」の育児書の中には、赤ちゃんの沐浴シーンを描いた絵が収められたものがありますが、それを見ると、当時の様子を垣間見ることができます(ほんとうは、前回か前々回の記事にくっつけたかったのですが、はみ出してしまったので、こちらでご紹介・・・)。
『育児の栞』(1898)より「生児の取扱」の項:
腕まくりをした産婆さんが、生まれた赤ちゃんの沐浴を終えたところで、右脇には、助手またはお手伝いさんと思われる女性が、浴布を広げて控えています。手前には産衣も広げられ、左脇には、赤ちゃんの祖母に当たる女性が静かに見守っています。開けられた襖の向こうには、ふとんが延べられて、そこに、お産を終えたばかりの母親が寝ていることがわかります。
『我子の生立』(1904)より「産湯」の項:
医師、産婆、助手、看護婦と、産湯の場面に立ち会う人々の名前が上がっています。沐浴をしているのは、看護婦さんでしょうか。看護婦さんの後ろには、医師が立って、これを見ており、手前には、産婆と思しき着物姿の女性が、浴布をもって待ち受けています。家庭出産のようですが、医師と看護婦は、白衣を着ています。
『子宝』(1909)より「産湯」の項:
ナースキャップをつけた白衣の看護婦さんが、赤ちゃんを支え、着物姿の産婆さんが、赤ちゃんの体を洗っているという構図。木の盥の横に、制服姿の看護婦さんがいるというのが、意外な取り合わせですが・・・
この3枚のイラストを見ていて気づいたのは、父親の姿がないという点で、共通しているということです。昔は、父親が産室に入れなかったという話はよく聞きますが、沐浴のときも、姿を見せなかったのでしょうか。
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2008年07月07日

育児書の中の沐浴

沐浴槽のことをあれこれ探っているうちに、またもや、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」の書架に迷い込んでしまいました。
明治時代の末期には、残っているだけでも、母親向け、あるいは専門家向けのたくさんの育児書が出版されており、これらを読み始めると、妙に引き込まれて止まらなくなってしまうのです。
私が興味深く思ったのは、現在の沐浴法の原型が、すでにこの時代できていたということです。
もちろん、まずは西洋のテキストの翻訳・紹介ということから始まるのですが、ここで面白い現象が起きています。
その一つは、沐浴するときの手順ですが、これは、新しいやり方が、すんなり受け入れられているように思われます。というのも、「赤ちゃんの体を洗ったそのお湯で、目や顔を洗っている」と、「旧産婆」を槍玉に挙げるような言説が、育児書のそこここに見られるからです。
もう一つは、沐浴のお湯の温度をめぐるものですが、こちらは、議論というより困惑といったほうがよいのかもしれませんが、ちょっとした混乱が起こったようです。
ヨーロッパでは、今でも、それこそ、ぬるま湯といっていいほどのお湯が沐浴に使われているところがありますが、その頃、35.0度という温度を推奨していました。
ところが、もともと、42.0度とか43.0度のお湯に入っていた日本人(もちろん大人ですが・・・)にはこれが冷たすぎると感じられたわけです。
そこで、どういうことになったか・・・実は、書物によって、バラバラな温度が示されているのです。
35.0度というものあり、37.0〜38.0度というものあり、40.0度というものあり・・・傑作なのは、中庸ということか、35.0度〜40.0度と書いたものがあるのです。お湯の温度でこの差は、何も言ってないのと同じです。
現在は、38.0度〜41.0度くらいに落ち着いているので、けっきょく西洋基準に引きずられることなく、日本独自のものになったということでしょうか。 
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2008年07月06日

沐浴槽と職人たち

今回は、ちょっと贅沢な、赤ちゃんの沐浴槽のお話。
これも10数年前のことですが、フランス人女性が、日本で出産するとき、わざわざ桶職人に注文して、小判型(楕円形)の長さ50cm弱程度の風呂桶を作らせたのです。
小判型の桶というと、大きなものでは伝統的な檜(ひのき)風呂、小さなものでは入浴用の手桶(洗面器)がありますが、後者は長さ30cm弱で、赤ちゃんには窮屈なサイズです。
仕上がった沐浴槽を見ると、カンナあとも鮮やかな木片をはぎ合わせて、タガで締め上げた、純日本風の緻密な作り。私はてっきり、昔のお殿様などが、こうしたものを使っていたのかと思っていましたら、どうもそうではなさそうなのです。
日本では、調べた限りでは、直径70〜80cmくらいの円形の、いわゆる洗濯に使われる木製の盥(たらい)が、産湯にも常用されてきました。これが、自宅出産が主流だった1960年頃まで続いたようです。
ところで、今回、思いついて、サイトを調べてわかったのですが、この日本になかった、小判型の沐浴槽(長さ60〜80cmのものが中心か・・・)が、ヨーロッパにはあったようなのです。きっと樽職人が作ったに違いないと思われるような仕上がりのもので・・・なぜか、最近では、ロシアや中国で作られて、ネット販売されているようです。
フランス人女性は、そうしたベビー用バスタブが、日本の職人技でさらに優れたものになるはずという発想から、その沐浴槽を注文したものと思われます。
それにしても、一定の時期しか使用しないものであること、高価であること、他の用途が考えにくいこと、保存するのに場所を取ること・・・そのいずれを取っても、私には、贅沢の極みとしか思えなかったのですが・・・
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2008年07月05日

ヨモギ摘みの季節

さて、7月に入り、土用も近づいてきて、モグサ用のヨモギ摘みにふさわしい季節がやってきました。
ヨモギは、適当に摘んでおいて、軒下や部屋の中に放置しておくと、勝手に乾いてくれますし、お好きなときにお好きなように使えます(ちょうど、梅干を漬けるときの赤シソに似ていますね、いつ入れても大丈夫というようなところが・・・)。とても使い勝手のよいものですので、ぜひ、この季節に、一年分のヨモギを採取しておきたいですね。
モグサの作り方については、すでに書いていますので、そちらをご参照ください。
モグサを作ると、副産物(?)として、ヨモギの粉茶ができることもお話しましたが、この粉茶、妊娠中に欠かせない栄養素でありながら、ほとんどの妊婦さんに不足していることが指摘されている「葉酸」を含むこと、また、同様に不足しがちな「鉄分」も含むこと、そして、「高血圧の予防」になることなどをうたい文句に、商品化して売られているものでもあるようです(最近、そのことを知りました)。
でも、たったの15分で、主産物の「モグサ」と副産物の「ヨモギの粉茶」ができるのですから、わざわざお金を出して買うには及ばないですよね。
お風呂に入れれば、体を温めてくれたり、かゆみをやわらげたりしてくれますので、妊婦さんはもちろん、それ以外の方々も、ご愛用いただけると思います。
助産師グループCOCOのマタニティヨガ教室等でも、皆様のご要望があれば、作り方のデモンストレーションを行ないますので、どうぞお声をかけてください。
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2008年06月30日

お湯の温度調節

粉ミルクを作るとき、沐浴するとき・・・と、赤ちゃんのケアには、お湯の温度調節が、重要なポイントとなりますね。そこで、以前、実験を試みた、お湯の温度の調節法を、ご参考までにお話したいと思います。
お湯の温度は、調乳の場合も、沐浴の場合も、体温より少し高めの、40℃前後が目安になります。
水道水は、季節によって、あるいは配管によっても、変動がありますが、一般的には、年間を通して、約20℃というところが多いようです。このことを、ちょっと頭の隅に置いておいてください。
【調乳するとき】
粉ミルクを作るときの温度は、80℃以上でと言われています。やかんやポットで沸騰させたお湯は、哺乳びんに移した時点で、約10℃下がりますので、そのまま使われてよいでしょう。
調乳した粉ミルクを冷やすには、振りながら水道水に当てる方法もありますが、哺乳びんの“ミルクの水位まで”水を注いだ容器(深鍋または軽量カップ等)に入れると、約1分で適温になります。
気温20℃の室内に放置すると、40分で40℃、3時間で室温まで下がりますが、長く経過したものは赤ちゃんに飲ませられないので、上述のように速やかに冷やすことが必要になるわけです。
【沐浴するとき】
最近では、お風呂場でも、台所でも、最初から温度調節したお湯を使うことが可能となりましたが、床等に置くタイプの「ベビーバス」の場合で、温度調節が必要になったときは、「熱湯1:水道水1では熱すぎる、熱湯1:水道水2では冷たすぎる」ということを基準にされるとよいでしょう。
ただし、これらは、あくまでも目安ということ。最終的な温度確認は、お父さん、お母さんの手首(調乳の場合)や肘(沐浴の場合)で行なってくださいね。
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2008年06月29日

もう一つの沐浴法

赤ちゃんの沐浴は、一ヵ月健診が終るまでは「ベビーバス」、一ヵ月健診が終ったら内風呂でと指導されるのが一般的ですが、最初から内風呂のほうが安全という考え方もありますね(古くは、松田道雄さんの『育児百科』など)。それに、この「ベビーバス」も、使わなくなると、一気に無用の長物と化してしまいますし・・・
私は、それぞれのお家の状況に合わせた沐浴法があっていいのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。
新米のお父さんたちの中には、沐浴は緊張すると言われる方があるので、今回は、ひと工夫した、やさしい沐浴法のご紹介・・・
ある外国の方は、西洋式のバスタブに、高さ10数cmの、小さなパイプベッド様のものを置いて、沐浴をされていました。このお父さんは、赤ちゃんを、沐浴ベッドに乗せて、石けんの泡だらけにしてしまうと、同じ高さに張ったお湯で、ぴちゃぴちゃと洗い落とします。背中は、赤ちゃんを座らせて、やはり同様に洗います。
欧米では、そもそも沐浴は、日本のようにたっぷりのお湯ではなく、10cm弱程度のお湯で行なうのが普通なので、こういう工夫も生れるのだと思います。
これを見て、私も、ある方法を思いつきました。
浴槽には、20cmから30cm位、お湯を張ります。ここに、お父さんが腰を下ろすと、膝の上に、赤ちゃんを乗せるのにちょうどいい窪み(水たまり)ができます。ここで、石けんをつけて洗い、まわりのお湯をかけて流してあげると、お父さんも赤ちゃんも、無理なく、バスタイムが楽しめるというわけです。石けんを洗い落としても、お湯は澄んでいるので、これにお湯を注ぎ足して、大人が入浴することも可能です。
実際にやってみて、とても具合よくいったので、ここでご紹介します。
ラベル:沐浴 赤ちゃん
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2008年06月26日

びわの葉のお茶

江戸の初夏の風物詩というと、枇杷葉湯(びわようとう)が浮んでくるほど、長いてんびん棒を担いだ、枇杷葉湯売りのイメージは定着していますね。
私は長いこと、これを江戸で始まったものとばかり思っていましたが、京都が発祥の地だったのですね。したがって、江戸の風物詩というのは、正しくは、江戸時代の風物詩ということになります。
「烏丸本家枇杷葉湯・・・」で始まる口上には、「御婦人方には産前産後、血の道、血の狂い一切によし」というくだりがあるようですが、実際のところの効用は、どうだったのでしょうか。
また、この季節、地方の漢方薬店の軒先には、大鍋に枇杷葉湯が煮立てられ、道行く旅人は、これを自由に飲むことができたと、かつて、どなたかに伺ったことがあります(今、調べてみると、どうやら、この出典は、南方熊楠のようです)。
江戸や京都、難波で売られていたものは、肉桂(シナモン)など数種類の薬草が調合されていたとか。薬湯というより、暑気払いの、おしゃれな清涼飲料水として飲まれていたのかもしれませんね。
自家用には、びわの葉だけで作りますが、これが、とっても簡単。なるべく大ぶりのやかんを用意して、大き目の葉っぱ数枚を、裏の白い毛をタワシで擦り取り、1,2cm幅に切って、これを煮出すだけ。ひと晩おくと、ワインレッドの、とてもきれいな飲物が出来上がっています。
昔、仲間たちと広場でイベントをやったとき、氷だけ別に用意しておいて、このお茶を供したことがありました。子どもたちにも評判がよくて、すっかり気をよくしたことを覚えています。
麦茶代わりに、ご家庭でも試してみられてはいかがでしょうか。夏のお客様にも、喜ばれるかもしれません。
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2008年06月25日

予防接種を考えるC

今回、調べてみてわかったことは、予防接種に、全面的に反対しているという小児科医は、ほとんどいないということです。
とくに、麻疹、ジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ、BCG(結核)については、反対している医師は、ごく少数に限られています(ただし、ポリオは、現行の生ワクチンから、不活化ワクチンへの切り替えを促す声が、強く出ている)。
風疹、おたふくかぜ、水疱瘡についても、いつ受けるかという点についての見解は分かれるにしても(ある時期まで自然感染を待つという考え方がある)、必要性を認める点では、大方の一致が見られます。
日本脳炎については、重い副反応例があったため、2005年より、積極的な勧奨が控えられていますが、少なくともアジア諸国等、流行地に出かける場合には、接種が不可欠としている医師がほとんどです。
インフルエンザは、他のワクチンに比べて有効率が低いということなどから、意味がないとする医師と、それでも症状を軽くするために受けたほうがいいとする医師とに分かれます。これが、最も見解に相違のあるワクチンと言えるかもしれません。
B型肝炎、A型肝炎、肺炎球菌、インフルエンザ菌(Hib)他のワクチンを必要と考えている医師も多く、Hibワクチンについては、日本でも、2008年の夏頃より、勧奨接種の対象になる見込みです。
ここ10年とか20年の間にも、予防接種をめぐる状況は大きく変化しています。
自然感染する子どもが減る一方で、都市化した生活様式により、人と人との接触の機会が増えていること、また、グローバリゼーションがもたらした人々の移動で、流行が拡大しやすいことなど考慮に入れつつ、どうあるべきかを検討していく必要がありそうですね。
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2008年06月23日

予防接種を考えるB

これまで、予防接種の安全性が問われる、数々のできごとがありましたが、その代表的なものを取り上げてみます。
1956年、日本は、世界に先駆けて、痘瘡患者ゼロを達成しますが、その一方で、種頭語に脳炎を起こす事例が頻発して、問題となります。1970年の小樽訴訟を皮切りに、集団訴訟が相次いで起こり、種痘はこの年、定期接種が中止となり、1980年のWHOの根絶宣言とともに廃止となります。
1975年、DPT(ジフテリア・百日咳・破傷風)ワクチンの、とくに百日咳ワクチン(全菌体)で、脳症など重篤な副反応が発生して、一時中止の措置がとられます。その後、研究が進められ、百日咳ワクチンは、それまでの全菌体ワクチンから、無細胞ワクチンへと改良されて、その新しいワクチンを含む、DPTワクチンが開発されます。
1989年より導入された、新MMR(麻疹・おたふくかぜ・風疹)ワクチンは、接種後に無菌性髄膜炎が多発して、1993年に中止となります。ただし、この副反応の発現は、おたふくかぜワクチンによる無菌性髄膜炎であり、おたふくかぜの自然感染の場合より発生率が低く、予後はよいとされています。現在、日本では、おたふくかぜワクチンを除いた、MRワクチンが導入されています。
1994年、麻疹ワクチンのアナフィラキシーショックの発生が報告されます。この原因は、安定剤として使用されたゼラチンであることが判明し、現在では、すべてのワクチンはゼラチンを含まないものへ移行しています。
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2008年06月19日

予防接種を考えるA

2004年の予防接種法の大幅改正で、予防接種の対象疾患は、8疾患となりました。ある小児科医は、昨年末の講義の中で、以下のように分類されていました。
◎中止すれば再び流行の起こるおそれの大きい疾患:百日咳、ジフテリア、ポリオ、日本脳炎、結核
◎昔ならば子どもはすべてかかると考えられていた感染症でしばしば重症合併症のある疾患:麻疹
◎常時感染の機会のある疾患で、災害時の社会防衛上必要なもの:破傷風
◎先天異常の原因となる疾患:風疹
(このうち、日本脳炎は、2005年、廃止。結核は、厳密には、2007年、結核予防法の廃止に伴い、予防接種法に追加。)
予防接種について考えをまとめる前に、1948年の予防接種法制定から、対象疾患がどのように推移してきたかを、簡単に追ってみたいと思います。
1948年、予防接種法制定。対象疾患:痘瘡、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、発疹チフス、コレラ、百日咳、結核、ペスト、猩紅熱、インフルエンザ、ワイル病
1951年、結核予防法制定。
1958年、予防接種法改正。対象疾患から、猩紅熱を削除。
1961年、予防接種法改正。ポリオを追加。
1970年、予防接種法改正。腸チフス、パラチフスを削除。
1976年、予防接種法改正。腸チフス、パラチフス、発疹チフス、ペストを削除。麻疹、風疹、日本脳炎を追加。
1980年、WHO痘瘡根絶宣言、種痘の定期接種の廃止。
1994年、予防接種法改正。対象疾患:百日咳、ジフテリア、破傷風、ポリオ、麻疹、風疹、日本脳炎、〈結核〉    
2001年、予防接種法改正。対象疾患:〔一類〕ジフテリア、百日咳、ポリオ、麻疹、風疹、日本脳炎、破傷風、〈結核〉/〔二類〕インフルエンザ(高齢者)
この数10年間に、様相が大きく変化していることが、見て取れると思います。
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2008年06月16日

予防接種を考える@

ここ数ヵ月の間に、予防接種の最新事情について、講義を聴いたり、サイトを調べたりする機会が何度かあって、考えさせられることが多かったので、重要と思われる指摘をまとめてみようと思います。
◎日本では、予防接種の副反応を怖がって、子どもに受けさせないという人がいるが、実際には、接種部位が赤く腫れたり、熱が少し出る程度の副反応がほとんど。自然感染するより、ずっと安全性は高い。欧米では、徹底的に調査が行なわれた結果、予防接種は安全であるという考え方が定着しつつある。「予防できるものは予防する」というのが、今や世界の常識になっている。
◎予防接種の効果で、大きな流行がなくなると、その病気が地球上から根絶されたと思いがちである。予防接種で人々が抵抗力をつけているから流行が押えられているという面を見逃さないようにしなくてはならない。
◎病気に罹ってからでも治ると思われているが、麻疹(はしか)やおたふくかぜのような、昔はありふれた病気でも、重い後遺症が残ったり、命を落としたりすることがある。予防接種をしていれば、流行しても大規模なものにならず、罹っても軽症で済むことが多い。
◎一般に副反応と思われていたものの中に、紛れ込み事故が含まれている疑いがある。予防接種が原因と断定できる重大な副反応はほとんどない。
◎日本では、諸外国に比べて、定期接種の種類が少なく、また接種率が低い。昨年、麻疹が流行したが、感染者には予防接種をしていない者が多かった。先進国や韓国では、麻疹は、ほぼ排除にまで追い込んでいるが、日本は遅れている。
◎体が弱くても、予防接種には問題のない場合がほとんどで、むしろ弱い子どもほど、感染症によるダメージが大きいので受けておいたほうがよい。
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2008年06月11日

胎盤のゆくえC

私は、長いこと、各地方自治体の胎盤を回収する条例は、お産があったという法的な証拠を提出させるためのものとばかり思っていました。ところが、実際には、こうした条例は、感染性廃棄物を不法に投棄させないことを目的としたものだったのですね。
そのことが、胎盤処理の歴史を見ると、よく理解できます。胎盤処理の歴史というのは、日本社会に衛生思想が普及していく過程を示すものでもあるのですね。
これを簡単に振り返ると、明治時代の中頃まで、人々は、胎盤を家の庭に埋めるか、ごみとして放擲するかしていたのですね。埋める場合には、生まれた年などによって、場所(方位)を決めることもありました。
明治時代の後期になっても、地方のほうでは、川に棄てるような風習さえあったのを、都市を中心に、処理の方法を規制する動きが出てきました。これが、大正から昭和の初期にかけて、衛生面での向上とともに定着していったものと思われます。
この処理法を、清潔・不潔の基準に照らせば、投棄、埋没、焼却の順に、発達を遂げてきたことになります。
私たちは、ともすると、民俗学的な視点から、胎盤を食する習慣とか、処理の作法(埋没の方位など)を重んじがちですが、胎盤には、出産の象徴としての側面以上に、廃棄物としての側面があったこと、つまり、出産の終了で不用になった「ごみ」であったことは、まぎれもない事実だと思います。
この項を書くのに、主として参考にした、大阪市のサイトには、環境事業として、ごみ処理事業、し尿処理事業、埋火葬事業と並んで、この胞衣汚物処理事業があげられていますが、これも、頷けると思います。
ラベル:胎盤 胞衣 出産
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2008年06月09日

胎盤のゆくえB

興味深いのは、この胎盤他を処理するという仕事が定着していく過程で、これが、産婆会に委託された例があったということです。
まずは、明治時代の大阪市の事例から。
大阪には、1887年、大阪産婆会が結成されますが、これが産清社を設立して、胞衣汚物の取扱い業を開始します。利用者が少なくて、結果としては、間もなく廃業に追い込まれるのですが・・・まだ、衛生思想が行き渡っているとはいえない時代だったので、こうしたことにお金をかけることが習慣化しにくかったのでしょう。
この後、1900年、大阪府令「胞衣汚物取締規則」が公布されて、許可を受けた事業所が営業を開始しますが、取扱い方法等が非衛生的で、法外な料金を要求するなど、弊害が目立ってきたようです。
そこで、大阪市では、1902年、事情の許さない市域周辺部を残して、これを市営化することにします。肩引車により収集して、埋没あるいは焼却処分にするもので、特等・上等・中等・下等の4等級に分け、前3者については、胞衣塚に合祀して、毎年大祭を執り行なったようです。
もう一つは、大正時代の北海道小樽市の例です。
以前にも、少しお話しましたが、1920年代は、日本各地に、妊産婦保護事業が繰り広げられていた時代です。その中には、産婆会が、主体的に行なっているものも少なくありませんでした。
小樽市では、市の産婆会が、無料産院の設立を計画しますが、その建設資金を得るために、1925年、市内の、胞衣・産汚物の取扱い許可を得たと言われます。産婆会が、焼却事業を実施し、取扱い料金から経費を差引いた残りをこれに当てたのです。
この時代になると、胎盤の処理が、事業として成り立っていたという証左にもなるかもしれませんね。
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2008年06月05日

胎盤のゆくえA

胎盤は、昔、胞衣(えな)と呼ばれ、その処理については、地方によって、種々異なる習慣があったようです。
『山形県地方衛生会日誌』(1898年)には、知事からの告諭案として用意された、以下のような文言が残されており、当時の扱い方がよく分ります。
「従来、胞衣及産穢物取扱に付ては一定の方法なく各自家屋の床下又は出入口若くは近接の場所等に埋却し甚しきに至りては之を河川に投じて怪しまざるもあり此等は畢竟爾来の習慣に因るべしと雖も其埋却せる汚穢物の蒸発気は人身を襲い或は下等の有機物を発生し又河川に投棄したる汚物の如きは直接病毒の媒介となるは疑を容れざる処なり就ては自今速かに此陋習を去り人家及飲料水等を距りたる無害の場所に埋却するか若くは消却する様深く注意するを要す」(1894年)
同じ明治時代の後期には、「胞衣の埋め方」というような項目を含む、冠婚葬祭のハウツー本が出版されます。
国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で、ざっと調べただけで、この種の本が10数冊残っていますが、胎盤については、若干、祭事に関するものがある他は、いずれも、埋めるときの方位(方角)を指南するものなのですね。
私は、こうした胎盤の処理法が、人々の生活に根づいた伝統・風習としてあったのかどうか、やや疑問に思っています。現在の風水ブームと同様、一種の流行として、広まったのではないでしょうか。
大阪府の例では、1886年、胎盤を邸内に埋めることが禁止され、墓地または人家から隔絶したところで、焼却または埋没しなければならないことが定められているのです。
こうして、胞衣汚物の取扱いを生業とする者が現れ、それが、新たな業種として定着していくことになるのです。
ラベル:出産 胎盤 胞衣
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2008年06月04日

胎盤のゆくえ@

お産が終った後、ご自分の胎盤を見たという方はいらっしゃると思いますが、あの胎盤が、その後、どのように処理されるのか、ごぞんじでしょうか。
東京都には、1948年(昭和23年)4月1日に制定された「胞衣及び産汚物取締条例」というものがあって、胎盤をどのように処理するかが定められています。ここで、「胞衣(ほうい/えな)」とは、胎盤のこと。「産汚(わい)物」というのは、分娩時に使用した、ガーゼ、綿花、シートの類い。血液、羊水等が付着した、感染性廃棄物とみなされるわけです。
東京都以外の自治体でも、例えば、次のような名称の条例が定められています。
大阪府:産汚物等取締条例
京都府:胞衣産汚物取締条例
神奈川県:えなその他出産に伴う産わい物処理業者条例
北海道:胞衣及び産わい物処理条例
東京都には、23区内と多摩地域にそれぞれ一ヵ所ずつ、胎盤取扱い業者があって、都内のいずれの病産院、助産院、あるいは自宅でご出産されても、同じところに集められて、焼却処分されます(研究目的に使用される場合とか、多少の例外はありますが・・・)。
自宅出産の場合は、各家庭ではなく、助産師がいったん持ち帰ったものを、連絡を受けた業者が取りに来るという仕組みになっています。
私が、胎盤の処理で気になっているのは、フランスでは、医療廃棄物として、ゴミ袋に入れて処分されますが、胎盤だけを専門に、しかも人数分あるかどうかを確認していたというような記憶がないからです。
諸外国では、胎盤が、法的にどう扱われているのかについては、これから少しずつ調べていって、またご報告したいと思います。
ラベル:出産 胎盤 胞衣
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2008年05月22日

朴葉で作る焼き魚

この季節、道を歩いていて、もう一つ、目にとまるのが、朴(ほお)の大木です。みずみずしい緑色をした大きな葉をたくさんつけているので、誰にでもすぐ見分けられると思います。
私は、手に届くようなところにあれば、何枚かいただいてきて、これを、魚を焼くのに使っています。
魚をくるんで楊枝で止めて、魚焼き器で包み焼きにするわけですが、葉っぱを広げたまま、この上に魚を乗せて焼くという方法もあると思います。要するに、アルミホイルの代用にするわけです。
香りがつくというほどの香りがあるのかどうか分りませんが、魚の臭みをほどよく消してくれるところが、私は気に入っています。手間いらずで、後始末もかんたんですし・・・
朴葉を使った料理というと、「朴葉みそ」が代表格で、魚を包み焼きにする場合も、みそを入れるのが通例のようですが、私は、昔、山に登っていた頃、帰りにふもとで摘んで持ち帰って以来、自己流のこのやり方を通しています。
近年、たんぱく質、それも動物性たんぱく質の摂取が、とりわけ妊産婦にとって大切なものであることが指摘されるようになりました。魚には良質のたんぱく質が含まれていますし、それに加えて、とくに青魚に多いとされる、EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)などの必須脂肪酸は、赤ちゃんの脳の形成に重要な成分とされています。
魚の料理は苦手という方が、最近、多くなっているようですが、この包み焼きは、調理済み食品を利用するより、よほど手軽で、おいしく仕上がります。
一度、おためしあれ。
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2008年05月19日

サクランボの季節

そろそろ、サクランボの季節ですね。道を歩いていると、少し色づいたサクランボが落ちていたりして、何とはなしに気分が浮き立ちます。
ここで、私が、サクランボと言っているのは、果物屋さんに並んでいるものではなく、大通りや大学構内、公園、団地に植えられている、ソメイヨシノの実のことです。
この実については、「食べられない」とか、「まずい」とか、大方の評価はそんなところですが、じつは、意外においしいものなのですよ。
「すっぱい」と書かれていたものがありましたが、おそらく、これは、食べる時期を間違ったもの。実が、赤くなった時点で、口に含んだものと思われますが、真っ黒に熟れて、下に落ちそうなくらいでないとダメなのです。
「渋い」と書かれているものもありますが、グミの実や渋柿のような渋さはなく、これも、やや早めに試したときの感想かもしれません。
「苦い」のは確かですが、食べられないほどの苦さではなく、マーマレードの苦味が好きな方であれば、あれに近いもので、慣れると、だんだん病みつきになってきます。
木によって味がまったく違いますし、年によっても味は変わるので、比べる楽しみもあります。私は、毎年、せいぜい10粒か20粒を口にしているだけですが、春の野草のように、「今年も食べた」という満足感に浸ることができます。
また、あえて出産に関連づけると、サクランボに多く含まれる鉄分や葉酸が、妊婦さんや、授乳中のお母さんに欠かせない栄養素であるということです。ただ、このサクランボを何粒か食べたところで、それが、何かの作用するとも思えませんが・・・
それにしても、大量に落ちて潰れては、通行人やお掃除する人に嫌がられている、このサクランボ。つい、誰かが、これでジャムなど作ってくれないかなどと思ってしまうのですが・・・
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2008年05月08日

トラウベについてC

前述のサイトには、近年まで、この片耳型聴診器を使っていた国や人々として、旧ソ連と、イギリスやヨーロッパの助産師があげられています。
後者については、胎児聴診器を意味する「fetal stethoscope」、「fetoscope」や、「Pinard」で検索すると、材質、大きさとも様々な機(器)種が、今なお、助産師グッズとして販売されていることがわかります。
こうした状況を見ると、とくに開業助産師にとって、産科専用の胎児聴診器が特別な意味をもっていることが、よく理解できます。ただ、この胎児聴診器が盛んに用いられた、19世紀の後半から20世紀の初めにかけて、それは、産婆だけでなく、医師にとっても、最新の重要な器具だったのです。
1880年頃から、パジョー(Pajot)、ピナール(Pinard)、ドゥポール(DePaul)らによって、次々にバリエーションが編み出されますが、1900年頃、この中でも、産科医、ピナールの考案した、胴体の幅広いタイプのものが人気を博し、以後、胎児聴診器の代名詞となっていきます。
とは言っても、両耳型聴診器(いわゆる、ドクター聴診器)が出現したとき、産婆の中に、そちらに乗り換える者も少なくなかったはずです。
私には、この胎児聴診器が、産婆の象徴としてあったというより、戦後、ヨーロッパに端を発した自然出産運動の中で再発見され、それが、日本に伝わったように思えるのです。
そもそも聴診器は、男性医師が、女性の体に直接、触れるのを避けようとして発明されたようです。
だとすると、妊産婦さんから、遠ざかるのでなく近づこうとする、助産師の意識のあり方が、「トラウベ」(つまり、ピナール)への回帰をもたらしたのかもしれませんね。
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