2013年08月20日

赤ちゃんがやってくる授乳所

前回、『写真週報』第247号(1942年11月18日)の誌面を見られた方なら、次ページに「働く母を護りませう」という記事があるのに気づかれたでしょう。
http://www.albummania.jp/gallery/view.asp?seq=82072&path=&page=0
働く母を護りましょう
東京第一陸軍逍兵廠


よい児強い児を沢山育てあげ、大東亜を担ってゆく第二の国民を一人でも多くふやして、世界人口資源戦にうち勝つためには、慈愛深い両親の細かな心づかいはもとより大切ですが、こうした時局下にあっては、父親も、母親も戦時重要産業に身を挺して戦っている人達が多いのです
これらの人々のためにもまた子供はお国の宝という立場からも、育児についての親切な社会施設は重要であり、各方面にどんどん設けられたいものです
女工員数、日本一とまでいわれる東京第一陸軍逍兵廠では数多い母性産業戦士のための、妊産婦の保護に、育児保育にと至れり尽せりの施設を設け、温い親心をもって人口増殖のために、また母となっても産業戦に身を捧げる女性たちの優れた技術と労働力を確保するために大きな役割をはたしています
以下、写真のキャプションより
やがて母となる工員たちには母体の保護と胎児の哺育を妊婦保護相談所の保婦の手に護られ、安んじて職場に働くことができるのだ
妊婦手帳を渡され、立業から坐業へ、二階から一階へとより楽な職場へ移されて、保護の手に護られた工場の母は毎月の健康診断に自信と安心を得た。妊婦カードに今月も順調、異状なしと記入された
四つの門近く設けられた授乳所には九時半から十五分、十二時から四十分、三時半から二十分姉さんや、お婆ちゃんつれられた乳児たちの氾濫です。工員服の胸をひろげて母の喜びに仕事の疲れを忘れる日本の母の姿
お家と同じように、ここでもおやつの時間にはおいしいお菓子が坊や達を喜ばせる
母の手ではない、だが揺籠をゆすって呉れる手は母の手のように優しく、おむつを換える手は母の手のように温い。母の働く間を保婦に護られて無心に育ってゆく幼児達
ここの保育所には生後四十二日目から学齢までの幼児四百名が揺籠に、砂場にブランコに嬉々として戯れ、未来の健兵健民を約束されている
私がもっとも注目したのは、工場の4ヵ所の門近くに授乳所があって、ほぼ3時間ごとにその子にとってお姉さんやお婆さんに当る人が連れてくれば、母乳育児が可能だったということです。
こういう施設は、東京第一陸軍逍兵廠以外にはなかったということでもあるでしょうが、この当時、こうした仕組みを理想(あるいは合理的)と考えていた人がいたということに、ある種の感慨を覚えずにはいられません。
ナチス・ドイツにこういう施設があったということでしょうか(その後、田んぼで農作業中の母のもとに赤ん坊を背負ってお弁当を届ける娘…そういう農村の光景がモデルになっているのではないかと考えるようになりました)。
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2013年08月19日

山羊のお乳を赤ちゃんへ!?

「『写真週報』にみる昭和の世相」というサイトがあって、『写真週報』の1938年から1944年の記事が見られるようになっています。
http://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo.html
先日、その第247号に、「山羊のお乳を赤ちゃんへ」(1942年11月18日)という記事があって仰天してしまいましたので、そのままご紹介します。写真は直接ご確認ください。
http://www.albummania.jp/gallery/view.asp?seq=82072&path=&page=0
1940年代前半にこういうことが行われていたのですね。
東京府多摩村
山羊のお乳を赤ちゃんへ


乳児用牛乳や乳製品が十分出回らない折柄、産婦(?)の母乳不足を山羊の乳で補おうと、今度、東京府南多摩郡玉村保健協会で村内に山羊の牧場を開きました。母乳が足りないと、健民、健兵、つまり健康な国民、強い兵隊をつくりあげることができません。それで母乳に最も近いといわれている山羊のお乳で母乳の不足を補い、丈夫な第二の国民を育てようということになったのです。
同協会ではまず村内で飼っている三十頭の山羊を買いあげて牧場を開いたのですが、搾ったお乳は青年団の奉仕で、母乳不足の各家庭に配給しています。なお、牧場で殖やした山羊は、補助金をつけて農家に払い下げ、将来は農家三軒に一頭位の割合で飼育を奨励しようと計画しています。
以下、写真のキャプションより
山羊は濃厚飼料でなくとも、青草やその他の粗飼料で十分育ち、その上、温和しいので女子供でも飼うことができます
母乳に近い上に牛乳などとちがって消毒の必要がありません。搾ったら詰めかえて早速赤ちゃんのお口へ……
「あんまり急いで、こぼさないでネ」「ウン」「新しいお家を忘れないでネ」「ウン」…楽しい配給奉仕
乳幼児時代の栄養不足、発育不良が襲来に及ぼす影響は非常なものです…同協会が山羊の飼育に手を染めたのも、最近同村の壮丁の質が目立って低下したのと、結核が村へ侵入してきたからです
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2008年07月26日

禁止されたマクリ

もうひとつ、母乳・人工乳のカテゴリーには入らないかもしれませんが、母乳より先に、赤ちゃんの口に入れようとするもの、という意味で、「マクリ」を取り上げます。
明治時代の育児書には、マクリの害について述べたものがたくさんあります。
マクリとは、日本に古来からあった風習で、赤ちゃんが母体から持ってきた「胎毒」を下させるために、母乳を飲ませる前に、煎じて飲ませていたと言われます。これを飲まないと、生長してから、一種の湿疹を生じるとされていたのです。カニババと呼ばれた胎便をスムーズに排泄させるためにも、これが、必要不可欠だと信じられていました。
飲ませ方は様々で、最初の一日のみ、あるいは、二、三日というものもあり、これを飲んでいる間は、通常、母乳を与えないのです。極端な例では、さらに、数日から数ヵ月、母乳を与えながら、マクリも与えつづけるというところもあったようです。
このマクリは、甘連湯(甘草、黄連)をベースに、紅花、大黄、海人草を配合し(多くは大黄を用いる)、関西地方では、五香湯と呼ばれていたとか。
ただ、紅花などは香り付けで、要するに、これは、強い緩下作用をもつ大黄を用いた下剤ということで、大人が用いても、腹痛を起こすのが常と言われるほど強力なものだったようです。
こういうものを生まれたばかりの赤ちゃんに飲ませるのはどうかということで、明治の頃、国を挙げて、禁止の方向に持っていったのが、どういうわけか、近年になって、また復活を見ているようです。
最近でも、ごくたまにですが、マクリを飲ませようとしている方に出会うことがあります。
そうした方々は、多くが自然志向の方で、それが、わざわざこうした薬物を用いるのは、何か合点がいかないような気がするのですが・・・
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2008年07月22日

乳児死亡率と母乳D

この項を終える前に、ピエール・ビュダン(PIERRE BUDIN)について述べておこうと思います。
彼は、19世紀フランスにおける、母乳育児の推進者として知られる、パリ大学の産科学教授です。
1890年代に、乳児死亡率が高いのは、汚染された牛乳による胃腸炎が原因であると分析し、「乳児診察所(CONSULTATIONS DE NOURRISSONS)」という革新的なコンセプトを発表します。この試みが大成功を収めたため、乳児診察所は、たちまちヨーロッパ全域に広がっていきます。
ビュダンは、母親たちに母乳保育の維持について、また母乳保育が上手くいかない場合の、殺菌した牛乳の代用について教育すると同時に(このあたりが日本の母乳主義者と異なる点です)、体重や体温の測定による、乳児の栄養状態のシステマティックな診断を行ないました。
ビュダン式哺乳器、ビュダン式搾乳器については、すでにご紹介しましたが、未熟児へのチューブ栄養を考案したのも、彼のようです。 
彼は、手洗いの励行、生まれた子を温かい布に包む、母親のそばに置く、という3原則を守らせることによって、1902年、2,500g未満の低出生体重児の死亡率を75%から25%に下げるという快挙を成し遂げます。この3原則は、今日でも有効とされるものです。
1907年、乳児死亡に決定的な影響を与えるものが体温であるとして、初めて体温測定の必要性を唱えたのも、ビュダンでした。新生児の直腸温が32.5℃〜33.5℃の場合の生存率は10%、それが、身体を温めて、直腸温が36.0℃〜37.0℃になると、生存率が77%に上がるというのです。
同じ時期、レオン・デュフール(LEON DUFOUR)の「一滴のミルク(GOUTTE DE LAIT)」クリニックも広まりました。
こうした、フランスやイギリスでの経験が、日本にも伝わって、1920年代の妊産婦・乳幼児保護事業が展開されていくのです。
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2008年07月20日

乳児死亡率と母乳C

非常に不可解な談話だとは思われないでしょうか。
タイトルでは、「乳児死亡率が増加しているのは、母親の責任である、それは母乳保育が減ってきているからである」と言っておきながら、本文に入ると、すぐ、「乳児死亡率の増加の原因は、衛生思想が普及していないことによる」と断定します。ところが、その後で、「母乳保育の減退も原因である」と言っているのですから・・・さらに言えば、「ドイツでは、母乳保育は、充分に行なわれていないが、小児に与える乳牛の飼い方には特別の配慮がなされている(こうした衛生思想の普及により、ドイツの乳児死亡率は下がった)」と再度、「衛生思想」に戻るのです。
この時期の指導層の戸惑いをある意味で如実に示していると言えるのかもしれません。
1910年代の中頃まで、日本の乳児死亡率が低いと思われていた時期があり(実際にそうだったのかもしれませんが、1920年に第1回の国勢調査が始まった後も、統計方法の不正確さが指摘されていたほどですから、統計に反映されてなかった数値があることも充分に考えられます)、これが母乳保育のためとされてきたのが、その信念を根幹から覆されたのですね。
ただ、ひとつ推測できることは、公衆衛生がしっかり整ってないと乳児死亡率が下がらないという自覚がここで生まれ、欧米先進国をモデルに、1920年代を通して、妊産婦保護事業・乳幼児保護事業(今日の母子保健活動)が取り組まれたということ。そして、その結果、乳児死亡率が目に見えて下がったということです。
牛乳保育が、乳児死亡率増加の直接的要因ではなかったこと、牛を飼う環境、品質管理のあり方にこそ配慮が必要だったということは、踏まえておかなければならないと思います。
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2008年07月19日

乳児死亡率と母乳B

1916年、乳児死亡率の「激増」を受けて、内務省衛生局に、保健衛生調査会が設置されます。その保健調査委員に任命された医師、永井潜が、新聞に「死亡率増加は母の罪/母乳保育の風習漸次減退」と題する談話を発表しています。
大意を示すと、以下のようになると思われます。
「乳児死亡率の増加には種々の原因が存在しているだろうが、要するに衛生思想が普及していないということに帰着するだろう。ドイツでは以前は乳児死亡率が高かったが今は低くなった。日本はその反対に高くなりつつある。これは生存競争が激しくなって子育てに全力をそそげなくなったことも一因だろう。乳児を育てるのに最もよいのは母乳であるが、その母乳で育てていることのの多い日本が、比較的少ないドイツなどよりもはるかに死亡率が高いというのは実に不思議である。
この死亡率増加の傾向を改善する最良の方法は、衛生思想を広めること以外にない。日本は外国より出産率が高いのだから、死亡率を減少できれば、国家にとって最上の喜びであるが、すぐにその原因を究明することは困難である。調査・研究に4,5年の期間が必要であろう。
母乳保育の減退もその近因をなしているだろうと思う。上流社会の婦人たちは、母乳保育を嫌って育児への興味を失っていくし、中流・下層社会では、生活に追われる結果、ミルクや牛乳で済ませようとする者が多く、離乳の時期も早めようとする。
ドイツはまだ母乳保育が充分とは言えないが、牛乳保育をするにしても、小児に呑ませる乳牛を特別の場所で飼って特別の飼料を与えるという配慮をしている・・・」(つづく)
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2008年07月17日

乳児死亡率と母乳A

毎年、厚生労働省から『母子保健の主なる統計』という資料集が刊行されています。統計表の最初のページには、「主なる人口動態統計と人口」と題される表が掲載され、1899年(明治32年)から始まり、翌1900年から戦後のある時期までは、各項目とも、5年毎の数値が示されています。
この乳児死亡率(出生1,000対)のところを追っていくと、1920年までは、150台〜160台で推移しており(その後は減少)、急激に悪化しているという印象はありません。しかし、実は、年次統計でその抜け落ちた部分を見ると、最後の5年間は、170.3/173.2/188.6/170.3/165.7という高値を示していたのであり、当時は、非常な危機感をもって受けとめられていたようです。
1896年から1920年まで、諸外国の乳児死亡率(出生1,000対)を、5年単位で平均したものがありますので、日本のものと比較してみてください。
スウェーデン:100→91→78→71→68
イングランド&ウェールズ:136→138→117→110→90
スコットランド:129→120→112→113→99
オランダ:151→138→114→99→84
フランス:158→139→126→126→118
ドイツ:?→190→174→160→145
日本:153→152→158→157→174
スウェーデンやイギリスなど元来、成績のよかった国々は別としても、最初の5年間の平均値が、日本と似通った、あるいは、日本より悪かったと思われる諸国(必ずしも母乳栄養が多くはない・・・)で、速やかな改善が見られていることが明らかだと思います。
ちなみに、日本の中でも、中都市より大都市の状況が悪く、大阪市では、200を超えていたと言われています(東京市は比較的良好)。
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2008年07月16日

乳児死亡率と母乳@

明治時代後期の育児書には、母乳(人乳)がいかに優れているかということが書かれています。ただ、その理由は、必ずしも、今日のものと同じではないようです。
母乳は、固形分が少なく水分が多いため、消化しやすいが、牛乳は反対に、消化不良や胃腸病を起こしやすいという知識は、1880年代頃、すでに広まっていたと思われます。
1890年代になると、母乳が優れていることを統計的に証明しようとする言説が目立ち始めます。
1894年に出版された『育児必携乳の友』には、@ルーソー(ジャン=ジャック・ルソー)による調査の結果、母乳栄養の子供が牛乳栄養の子供より発育がよいこと、A母乳を長く飲ませる日本のほうが西洋より早死にが少ないこと、B国内でも、上流社会より、母乳に頼らざるをえない下層社会の子供たちの発育がよいこと、C同じ西洋の国でも、母乳を飲ませる習慣のあるスウェーデンやノルウェーなどで子供の死亡が少ないことなどが紹介されています。
これに、ドイツの統計で、D死亡した一万人強の小児のうち、母乳保育児は15%にすぎなかったが、人工栄養児では85%あったというものを加え、1900年代の終わりまで、多くの育児書の中で、根拠として繰り返し引用されます。
牛乳は、搾ってから子供の口に入るまでの過程が長く、牛を飼育する環境の不潔さを指摘する書物もありました。
1911年の『新撰育児法講義』には、日本の衛生上の設備が、西洋諸国に遥かに及ばないのに、乳幼児死亡率の順位が中以下にとどまっているのは、古来、母乳育児が広く行われているためだという、興味深い見解が示されています。当時の統計では確かに、スウェーデン10%、ノルウェー12%、日本15%、フランス20%、ドイツ25%、ロシア30%となっています。
ラベル:母乳 育児書 子供
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2008年07月13日

哺乳器のいろいろB

19世紀から20世紀初頭にかけての哺乳器具について調べていたら、イラスト、写真が盛りだくさんの資料等が、次々に見つかって、そのことについて書かざるを得なくなりました(正直なところ、これらのサイトから製品を見ていただければ、外見も、仕組みも、一目瞭然で、私が語るべきことは、もう何も残されていないほどです)。
“BIUM COLLECTION MEDICA”というサイトから、“CATALOGUE D’INSTRUMENT”(器具のカタログ)に入っていただくのですが、315頁下部、316頁、317頁に、“TETERELLES ”(哺乳器)“TIRE-LAIT ”(搾乳器)他の、わかりやすく精確に描かれたイラストが載せられています。
http://web2.bium.univ-paris5.fr/livanc/?p=4&cote=extaphpin008&do=pages
中には、現在使われているものと、ほぼ同じ形をしたものもあります。
もう一つ、お勧めしたいのが、“LE BIBERON-HISTOIRE”(哺乳びん・歴史)のサイトです。
http://ludogrid.free.fr/sommairebib0.htm
左側の目次から、“BIBERONS D'EUROPE”(ヨーロッパの哺乳びん)、“BIBERONS ANGLO-SAXON”(アングロサクソンの哺乳びん)、“TETINES”(人工乳首)、“TIRE-LAIT”(搾乳器)、あるいは、“HISTOIRE DU BIBERON”(哺乳びんの歴史)―この“DES MODELES ANONYMES AUX PREMIERES MARQUES DU DEBUT DU 19EME SIECLE”以下のリンク―を開いていただくと、哺乳のための器具を写真で見ることができます。
また、“DOCUMENTS ANCIENS”(古い文献)から入ると、ARTICLES ANCIENS(古い記事)のところにある、1822年、1866年、1870年、1889〜1890年、1893年、1894年の記事は、器具の形の変遷をたどるという意味でも有益です。
もちろん、これらが全部、日本に入っていたというわけではありませんが、しかし、明治末期頃、このような器具を使って哺乳していた家庭があったことを想像すると、こちらまで楽しくなりますね。
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2008年07月12日

哺乳器のいろいろA

母乳は、人乳とも呼ばれていました。母乳育児が推奨されていた、この時代、乳首が扁平だったり、傷ついていたりして、母乳の出が悪い人もいたわけですが、今日の搾乳器、乳頭保護器に相当するものが、すでに存在していたのには驚かされます。
【搾乳器】
ピュダン式「吸収」装置と呼ばれるもので、お母さんの乳首が突出せず、赤ちゃんが上手に吸啜できない場合などに使われます。
たこつぼ様ガラス器の、広がった口を乳首に当て、丸みを帯びた部分の左右につながれたゴム管の、片側から、お母さんが管を吸って、球形部分に母乳を溜め、赤ちゃんが反対側の管に取り付けられた人工乳首からそれを吸って飲むという仕掛け。
お母さんが吸い出した母乳を、赤ちゃんがそのまま同時に飲めるという合理性・・・この発想は、現在のものにもないもので、これを再現して売り出したら、人気が出そうな気がします。
【乳頭保護器】
ビュダン式「吸入」装置は、お母さんの乳首の周辺に装着する、おわん型のゴム製の覆いで、乳首の部分が突出しています。これは、ビュダン式吸収装置と同様、扁平乳頭、陥没乳頭の場合、あるいは、亀裂乳頭を起こした場合などに用い、使い方は、現在の乳頭保護器とまったく同じです。
二つとも、「近代デジタルライブラリー」の『新撰育児法講義』(1911年)の通し番号23のところに出ていますので、ぜひご覧になってください。
また、産科医のピエール・ビュダンは、19世紀フランスの母乳育児の推進者として知られていますが、彼の発明による搾乳器は、“MUSEE VIRTUEL DE LA MEDECINE”(医学仮想博物館)のサイトから、“ACCESSOIRS POUR ALLAITEMENT MATERNEL ET ARTIFICIEL”(母乳・人工乳のための哺乳器具)を探して、その一行目をクリックしていただくと写真を見ることができます(前述のものとは、形がやや異なります)。
http://www.aly-abbara.com/museum/medecine/meseum_virtuel_medecine.html
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2008年07月11日

哺乳器のいろいろ@

【哺乳びん】
明治時代には、ヨーロッパから様々なかたちの哺乳びんが輸入されて使われていました。哺乳壜、吸入壜、哺乳器、ちちのみ、吸乳子などと呼称・表記されていたようです。
現在の哺乳びんとの一番の違いは、ボトルから直接、乳首を通して吸われるのではなく、ボトルに細いガラス管が通されて、そこから吸い上げられた牛乳が、さらに、栓のところからゴム管で乳首につながれて、それを赤ちゃんが吸うという仕組みになっていたことでしょう。
ですから、今日の噴霧器などに通されている管、あんなふうに哺乳びんの中に管が入っていること、また、乳首が哺乳びんにふたをするようにかぶさっているのではなく(大正時代になると、かぶさっている種類のものも出てきたようですが・・・)、チューブの先に乳首がついていることが、私たちには、「おやっ」と思われるところです。
大きく分けると2つのタイプがあったようで、便宜上、Aタイプ、Bタイプと名づけると、Aタイプは、普通のタテ型のびんに短めのゴム管がついたもの。Bタイプは、横に倒したような形のびんに、長めのゴム管がついています。Bタイプは、赤ちゃんが自分で飲めるので、ケアをする人にはラクだが、そんな手抜きをしてはいけない、Aタイプのものを使うべしと書かれた育児書もありました。
詳しくは「近代デジタルライブラリー」の中から、次のような書物のイラストにてご確認ください。
Aタイプ:『育児の種』(1883年)/『育児必携乳の友』(1894年)
Bタイプ:『普通育児法』(1901年)/『小児養育の心得 増訂2版』(1906年)
Aタイプ・Bタイプとも:『育児の栞』(1898年)
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2008年06月27日

哺乳びんの消毒

哺乳びんの消毒というと、昔は、蒸し器タイプのアルミ鍋が一般的でしたが、最近では、電子レンジを使うもの、薬剤を溶かした液に浸すものが、主流となりつつあります。
ところが、電子レンジにしても、薬液にしても、専用の容器に保管容器まで、思いのほか場所を取ってしまうのが難点です。ほんの一時期使うために、わざわざ購入して、あとは処分を考えなければならないということにも、私のような旧世代の者には、何となく抵抗がありますし・・・
そこで今回は、意外に便利な、昔ながらの煮沸消毒を見直してみませんか、という提案です。
ただ、蒸し器タイプに限らず、鍋を使うと、はさみ(鉗子)・ピンセット(鑷子)様の器具で哺乳びんを取り出すのが、けっこうやっかいだったりします。びんを落っことしそうになった方も、あるのではないでしょうか。
そこで、私は、「やかん消毒」をお勧めしています。大き目の、底が平たくなった、広口タイプのやかんが理想的(いわゆる、飾り気のない、スタンダードなやかんです)。
哺乳びんの口を、やかんの注ぎ口ののほうに向けて並べ、ひたひたの水を入れて沸騰させ、そのまま約10分間(乳首は劣化しやすいので、3分間でOK)、煮沸消毒するもので、終ったら、ふたを押えて、注ぎ口からお湯を切ることができるのがミソ。向きの関係で、お湯がすっきりきれいに切れます。
やかんの中が、そのまま保管場所になるというのも、家が赤ちゃんのもので溢れかえっている、この時期には、ちょっとうれしいスペースの節約です。
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2007年10月20日

母乳育児と食べ物A

かつて、母乳の分泌を促すには、粗食のほうがいいと言われてたことがありました。粗食でも母乳はよく出るという意味では、これは間違っていないと思います。
さらに言えば、貧血があっても、母乳の出が悪いという方を、私はほとんど見たことがありません。
血液がそのまま母乳になるのに、ある意味で、これは不思議なことです。自分の体を犠牲にしてまで、我が子に栄養が行くような仕組みができているわけですから・・・
しかし、だからこそ、お産後の食事には、ふだん以上の注意を払わなければならないのだと思います。
ご自身の体は、疲労も強く、どんどんやせ細っているのに、母乳はたっぷり出ているという方に、「しこり」の相談を受けたことがあります。この方にとって問題は「しこり」だけで、ご自身が忠実に守られている食事制限には、何の疑問もないのですね・・・
お産後に縫合した傷(帝王切開を含む)が開くというようなことが、最近でも意外なほど起こっていると言われますが、私は、こうしたことにも、お母さんの栄養状態が大きく関わっているような気がしています。
先頃、厚生労働省から「妊産婦のための食生活指針」が発表され、産前産後はもちろん、妊娠前からの、食生活のあり方が大きく問い直されようとしています。ライフサイクルから見た栄養管理とでも言ったらよいのでしょうか。
母乳育児に対しても、もっと合理的な根拠に基いたケアが求められているように思われます。
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2007年10月18日

母乳育児と食べ物@

母乳育児相談室の中に、厳しい食事制限をしているところがあるようで、気になっています。
こってりした乳製品、甘いもの、肉類など控える指導は、一般に行われていますが、他にも、カロリーの高いもの、油っこいもの、香辛料の強いもの、果物、パン類はダメ、ご飯も、白米はいいが、もち米はダメ、玄米もダメ・・・極端な場合は、「お粥と梅干・味噌汁・お茶以外は禁止」とされ、「食べられる物がない」と言われるほど・・・
こうした指導をされている、多数の方々と意見が異なりますが、私は「しこり」等のトラブルと食事とはほとんど関係ないと思っています。
それは、これら禁止されたものを相当摂られていても、スムーズに授乳を続けられている方が大勢おられること。反対に食事制限を守っているという方からのトラブルのご相談をよく受けるからです。
体質ということを除くと、母乳の分泌にもっとも関与するのは、気候ではないかと私は考えています。気候の変化に対応できずに体が冷えて、「しこり」を生じているのではないかと・・・
なぜなら、急に暑くなったり寒くなったりした日に、電話やメールのご相談が増えるということを経験しているからです。それまで何ヵ月も順調に来られていた方が、突然、調子が悪くなったりするのです。
であれば、大事なことは、むしろ充分な食事を摂り、体を冷やさないよう務めることではないでしょうか。
栄養不良が及ぼす影響については別の機会に書くつもりですが、産後の体の回復を促すためにも、極端な食事の制限は避けるべきだと思います。
ラベル:母乳 食事 栄養 産後
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2007年10月09日

干からびた乳首

フランスに滞在していたとき、お産のシンポジウムに参加したことがあります。
ロビーでは、小さな展示会が開かれていました。私は、知り合いの誰かに「ほら」と指差され、近づいて見ると、ガラスケースの中に、指を覆うくらいの、サック状の奇妙な物品が置かれていました。これが、大昔の、魚の浮き袋で作られた乳首という説明でした。
フランスの産院では、お産の直後に、通常の粉ミルク、母乳と併用する粉ミルク、未熟児用のもの、アレルギー対応のものなど、多種多様な人工乳の中から、我が子にどれを与えるか決めていました。美容上の理由から、人工乳を選ぶお母さんも多く、もう少し乳房の手当てをして、母乳栄養に力を入れられないものかと、私はいつも不満に思っていたのでした。
しかし、この干からびた乳首を見たあと、私は、母乳へのこだわりを捨てたと思います。この乳首に、どれだけ、赤ん坊をケアする家族の祈りや願いが込められていたことか・・・哺乳瓶がなかった時代、人々はありとあらゆる工夫をしたのだと思います。
もちろん、私は、母乳育児に人一倍熱心なつもりですが、だからといって、人工乳が母乳に劣るものとも思いません。選択肢のある現在に生きていることを幸せに思うだけです。
先日、粉ミルクを足すことに罪悪感を抱いているお母さんのことを聞いて、こんなことを書いてみたくなりました。
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