2016年03月28日

指導教官が求めたことC

【2014年4月29日】
 この「注文」に対して、私は教授に直接会う機会があって反論をしています。その反論をメモとして残しておいたものが以下のファイルです。
 IS教授「博士論文への注文」への疑問
・猪間は思想家ではない、学説を展開した経済学者でないことをまず確認したい。猪間の人口問題研究の意義は、自身のことばでいえは“イズム”を排している点にある。これは、湛山が政治思想や政党で選ぶのではなく「政策」で選ぶ姿勢にも通じるものがある。なぜあえて思想家たるまいとしたのか、人口論争にも、資本主義論争にも、参加しなかったのか(金解禁論争は経済政策論争であることに注意)、この重要な点が理解されていないように思われる。
・「注文」にあるような論文を書くのであれば、猪間は不要。ほとんど持ち出す意味がない。湛山の評論を追えばよい。
(……)
・「(戦争を)なぜ回避できなかったのか」だけを問うのでは意味がない。「回避して何をしようとしていたのか、そのために何を用意していたのか、どのようなヴィジョンがあったのか」が重要。これまでの歴史学はこれを問うていない。ただ反対すればよかったのか、革命が起こればよかったのか、という問題にもつながる。
・「失敗のプログラム」というような捉え方も間違い。根底に歴史にはレールが敷かれているというマルクス主義的史観がある。現実には、あるときある状況下でのある程度の見通しがあるのみである。あやまった政策を選択する指導者はいつの時代にもいることは、今日の状況を見てもわかる。
・「日本資本主義論争」に肩入れしすぎ。この論争は、前提に「革命」がある。革命が必要だったのかという議論には決着がついているのではないか。猪間は、そして湛山も、この論争にはかかわっていないし、興味も持っていない。彼らがかかわるのは経済政策にかかわるもの。
(……)
・「日本資本主義論争」の影響の大きさが、重要性の評価基準となるか。この影響力は左翼とそのシンパサイザーへの影響力。これらの人々が、実態の把握に問題のある十五年戦争という史観をかかげて1930年代の歴史的空白を作っているという認識も必要である。
・思想をいうのであれば、その質を問うべきであろう。少なくとも、日本資本主義論争の一翼を担っていたのが、猪間を東大から追放したような勢力であることは踏まえておくべきであろう。そういうレベルの人々による論争であったこと、これを後生大事に考えている人々をこそ、いったん疑ってみるべきだろう。

posted by wada at 15:48 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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