2016年03月26日

指導教官が求めたことA

【2012年11月14日】
 最初に提出した博論に対するコメント。とりあえずそのまま掲載します。
*初稿に対するコメントとリライト要求の方針案
1.従来の日本近代政治経済史研究、ならびに日本近代思想史研究においては、石橋湛山の「小日本主義」をその典型とする、第二次大戦前の日本における政治的・経済的自由主義構想は、その先駆性と理想主義を高く評価されつつも、昭和初期におけるいわゆる「日本ファシズム」の台頭、軍部による政治の蹂躙、帝国主義的侵略戦争を防げなかったがゆえに、結果的には失敗・敗北したプランとの評価をつけられることが多かった。
 近代日本における社会矛盾――農村の貧困、階級対立――の根本因を人口過剰(マルサス主義)や、資本主義経済の自己調整機能の麻痺(マルクス主義)に見出し、その克服を日本の移民と植民地化を中軸とする重商主義的・帝国主義的社会経済戦略に求める「大日本主義」に対して、石橋湛山は移民や植民地主義の経済合理性を否定し、内政におけるケインズ主義(マクロ経済政策と社会政策の組み合わせ)と外政における国際協調主義(経済面ではブロック経済化の否定と自由貿易主義)のセットによる「小日本主義」のビジョンを早くから提起し、実際の政治的・政策的論争においても、労使の階級対立に対しては労働組合の放任、農村問題については産業組合主体の自力更生戦略、金解禁と昭和恐慌を巡る論争に際しては徹底したマクロ的拡張政策擁護の論陣を張って闘った。また石橋は決して孤立した存在ではなく、本論文でも論及された上田貞次郎や高橋亀吉、そして本論文の主人公たる猪間驥一といった「同志」が存在しており、実践的にも幣原喜重郎の協調主義的外交活動(幣原外交)、高橋是清の大蔵相・首相(高橋財政)としての活動によってある程度その実現を見ていた。
 しかしながら昭和前期――第二次世界大戦前までの歴史的展開を見る限り、高橋の積極財政はのちに「軍事ケインズ主義」と呼ばれる軍需依存の経済回復に帰結して、軍部の台頭に付け入る隙を与え、それを抑えようとした高橋自身の横死をもたらした。すなわち、石橋・高橋的自由主義は、昭和前期日本においては、右翼的ラディカリズムに敗北したのである。この評価は右翼的な歴史観のみならず、マルクス主義的史観によっても共有されている。
2.本論文は以上のような石橋・高橋的自由主義に対する低評価に対して、猪間を中心的な素材としてその見直しを迫ることを目標としている。石橋の「小日本主義」や高橋財政、あるいは幣原外交についての評価にはある程度の先行業績があるが、猪間、そして本論文で取り上げる鈴木武雄といった論者に注目する理由は、おおむね以下のように思われる。
 代表的自由主義政治家としての高橋は暗殺によって横死し、筆頭論客たる石橋も軍部専横の本格化以降は、拠点たる東洋経済新報社を守るためもあってか、終戦までは「消極的抵抗」でやり過ごす。それに対して高橋亀吉、あるいは猪間や鈴木などは、昭和研究会に参加して「大東亜共栄圏」への大っぴらな加担者となった高橋は極端な例としても、本論文での検討素材となった『在外活動についての報告書』にみられるとおり、昭和日本の帝国主義・植民地主義路線が動かせない所与となった局面において、むしろ「よりましな帝国主義・植民地主義」を目指すかのごとく、日本ファシズムに対する抵抗よりもむしろ(「批判的」にではあれ)参加の道を選んでいるように解釈できる。
 本論文は、猪間の研究・言論活動の全体、また石橋・上田といった人脈との関係を射程に収めたうえで、猪間の思想が全体として石橋的な「小日本主義」、政治的・経済的自由主義と軌を一にしていることを示し、そのうえで、ファシズム下・戦中におけるその活動も、一見したところとは異なり、必ずしもファシズム・植民地主義への「屈服」「転向」ではなく、戦前における自由主義と矛盾したものではないこと、それ以上に、石橋的な「消極的抵抗」とはまた別の形での、戦時下における自由主義の継続の試みに他ならないことを論証しようととするものである。
3.以上のように本論文の主題を理解したうえで、なお指摘しておくべき本論文の問題としては、次の諸点が挙げられる。
a.上記の主題、論文自体の戦略的目標――石橋湛山が代表する、戦前日本における自由主義のポテンシャルの再評価を、あえて「屈服」「転向」とみえる猪間の活動の再解釈を通じて行おうというもの――野心的であるだけにトリッキーでもあり、それを説得的に論証することは極めて困難な課題である。提出時点における本論文の構成は、必ずしもこうした本論文の主題、戦略的目標を、専門研究者はともかく一般読者に対してわかりやすく提示するものとはなっていない。それゆえ、導入部において、戦前日本の政治的・経済的自由主義に対する研究と評価の歴史的変遷についての包括的な展望を置いたうえで、あらためて本論文の課題を予示的に総括的に示しておくことが望ましい。またこれと併せて、導入部には『報告書』を主題とした既発表論文を全面的に本論に組み込むことが必要と思われる。
b.上記のごとく導入部を変更することに合わせて、本論部分も、各章において全体構想との関係でその論証課題を明示する書き直しを行うことはもちろん、論文全体の総括においても、導入部における問題提起を復習したうえで、設定された課題がどこまで論証され、何が未解決課題であるかを確認する、独立論文となりうる充実した内容を備えた「終章」を作ることが望ましい。
 この後、私は博論の取り下げを強要されることになりますが、その経緯についてはもう少し後で説明することにします。
posted by wada at 17:12 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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