2015年11月19日

『経友』から新たな事実2

 最後の第6号のことから先に書きます。
 冒頭に大内兵衛の撮影になる故糸井靖之の写真が掲げられています。1923年8月とありますから、大内が糸井と別れる直前のものだということがわかります。
 『経友』による追悼文の後に、「糸井助教授を悼む」として、ゆかりの人々からのコメント・エッセーが並んでいます。驚いたのは、大内や有沢に混じって、猪間驥一が寄稿していたことです。その文面から、1925年1月後半から2月初めの間に書かれたことが確認できるので、東大を追放された後ということになります。編集責任者が土方成美であったことから(猪間は最終的には土方のゼミに入っていた)、こういうことが可能であったのかもしれません。
 『経友』第6号(1925年3月1日)
 「糸井助教授を悼む」
 糸井君に就て   山崎覚次郎
 嗚呼糸井助教授  河津暹
 糸井君を悼む  矢内原忠雄
 糸井君を憶う  大内兵衛
 糸井さんの綽名 佐々木道雄
 糸井先生と私  有沢広巳
 糸井先生の思出 猪間生
 もう一つ驚いたのは、猪間の「糸井先生の思出」には、猪間が戦後に書いたと思っていた糸井の思い出のすべてがすでにここに書かれていたことでした。つまり、糸井の死から1ヵ月余りの、まだ生々しい記憶が残っている時期に、それらが書かれていたということです。
 『経友』は痛みが激しい資料で、コピーが許されておらず、この文章はすべて手で書き写してきたのですが、大半が今まで紹介してきたエッセーに含まれるものですから、前3分の1(桜の葉っぱの話とか演習で最後まで残った6人が優をもらった話とか)を省略して、同じことでも、ややニュアンスの異なった後の3分の2を写しておきます。
 演習でしょっ中顔を合せた外、「経友」の雑誌委員として、先生と私はいつも一所だった。雑誌の原稿など云うものは、委員がいくら熱心になったって、なかなか誰も書いて呉れるものじゃない。あっちこっち友達に頭を下げて頼み回り、河津先生には、論文と雑録と二つもお願いした。自分も二つ三つ書いた。併し、どうしても頁が足りない。弱っていると、糸井先生、よし俺が引受けてやろうと云って、たった一晩の中に、ポアンカレの「空間の相対性」と云う難しい20頁からの論文を翻訳して来て下さった。喜ぶと共に、私は先生のいろんな「力」に驚かざるを得なかった。雑誌の編集が終った日。――それは、4年前の、丁度今日此の頃だったろう。曇った寒い寒い日だった――先生は「御苦労だったね、今日は慰労に一つ奢ろう、」と云って、青木堂まで私を引張り出して、紅茶を啜りながら、2,3時間もレクられた。それから、学校へ引返して来て、研究室の建物と、図書館との間の、霜に凍えた道をザラザラ何度か往復しながら、なお、語り続けた。そのうちに、私は斯う先生に訊ねた。
 「一体商品学なんて学問になるんですか?」
 その時の先生の答えを、私は今も忘れる事が出来ない。
 「そりゃあ君、一つ一つの商品の性質を調べてなど行ったら、人間業で知り悉せるもんじゃない。ただ、あらゆる商品を欲望の客観化されたもの、と見る時何等かの統一的見地が出来ようかってものさ。而も、その客観化は数量的表現を得るんだからね。ここに於てか、僕は先ず統計学をやったって訳さ。」
 其の後も、「君、人間は劣等感覚を共にする程親しいんだよ、尤も之は僕の説ではないがね」と云っては、幾度か青木堂を奢られ、幾度か食卓に招かれた。その度に話して聞かされる事は、何故人間は腹が減った時腹が立つかとか、何故物価調節問題は貴族院で喧しくて参議院で左程ではないかとか、博打は如何なる原理に立つかとか、とても、外の人からは聞く事の出来ない鋭い観察であった。
 併し、先生に親しく接した期間は、極めて極めて短かかった――ほんとにそれは半年を僅かに越すだけである。演習は10月に始まって。翌年の6月の初めには、先生はもう留学の途上に上られたのだから。
 留学の途に就かれる先生の胸は、どのような学問的野心に満たされていた事であろう。「僕の様な考え方をしてる商品学の研究者も、独逸に一人はいるらしい」と云って居られた、「君等、しっかり勉強しといて呉れ給え。僕、帰って来たら大いにやるよ。今の学会の悪風潮を一掃して呉れるから、なあ、君等その時には片腕になって働いて呉れ。」と我々を顧みられた。
 雄志、遂に伸ぶるの日無く、異域の煙となられた先生を思うと、黙然たらざるを得ない。そして、ただ、その度の楽しかりし記憶の外には、俤を偲ぶるよすがも無いのを悲しく思う。
 東大を追われて間もない、石橋湛山に迎えられ、東洋経済新報社で、新入社員向け統計学講義を行っている傍らで、この文章は書かれたのですね。感慨深いものがあります。
posted by wada at 20:17 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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