2015年11月19日

『経友』から新たな事実1

◆近況のご報告
 先月末、博士論文を書いて提出するところまで行きました(受持ちの先生には提出の方法を教えてもらえないし、事務室では自分たちには教えられないといわれるし、これはこれでたいへんでした)。
 まだこれからどうなるのか皆目見当がつかないのですが、審査の先生が前とは変わり、希望していた先生に外部審査委員として加わっていただけることになって、もうそれだけで猪間驥一の研究をやってきたかいがあったと思っています。
 いつもでしたら、書いたもののチェックなどするのですが(今回も、山室信一の書いた論文に『日本人の海外活動に関する歴史的調査』に言及しているを見つけ、追加できればと思って原稿だけは書きました)、この空いた時間を利用して、猪間が雑誌委員を務めていたという『経友』を見てきたいという思いがむくむくと頭をもたげてきました。そこで――
◆『経友』を見るため東大へ
 ついに、東大経済学部資料室で、猪間驥一の編集になる『経友』の第1号から第6号までを見てきました。私はどこかで、これを「新聞」と書いたと思うのですが、年1回発行の「雑誌」でした。猪間は、2年間、雑誌委員を務め、第2号・第3号の編集をほぼ一人で担っています。
 【初期の『経友』の発行日】
 創刊号:1920年5月25日(責任者:河津暹)
 第2号:1921年2月8日(責任者:糸井靖之)…猪間
 第3号:1921年12月17日(責任者:本位田祥男)…猪間
 第4号:1923年2月15日(責任者:本位田祥男)
 第5号:1924年3月25日(責任者:土方成美)
 第6号:1925年3月1日(責任者:土方成美)
 この雑誌から驚くべき事実がいろいろ判明しました。その一つが第6号の「糸井助教授を悼む」に、大内兵衛や有沢広巳に混じって、東大を追放された猪間が寄稿していたことです。そしてもう一つが、有沢がどのような口実でもって猪間を東大から追放したのか、ほぼ特定できたことです。これから何回かにわたってそれを書いていきます。
◆東京帝大経済学部の学科課程
 書類上では、次のように書かれています。
 1919年度:
 秋学期:9月11日〜1月31日
 春学期:2月1日〜7月10日
 1920年度以降:
 夏学期:4月1日〜10月15日
 冬学期:10月16日〜翌年3月31日
 しかし猪間の学年は実際には次のようになっていたことが確認できました。つまり2学年は1年を半年に短縮して調整していたのですね。
 1学年(1919年9月〜1920年7月)
 2学年(1920年9月〜1921年3月)
 3学年(1921年4月〜1922年3月)
posted by wada at 20:02 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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