2011年04月21日

高橋亀吉と鈴木武雄メモ4

先日、大震災後初めて、大学へ行った折、指導教授のI先生に、研究計画についてのご相談をしてきました。
つまり、「猪間驥一の人口問題・植民地問題認識」に、鈴木武雄の「大陸前進兵站基地論(大陸ルート論)」と3論文を組み入れるべきかどうかという点についてですが、結論からいうと、別にすべきということになり、自分の中では何かすっきりするものがありました(高橋亀吉の考え方や鈴木武雄のこうした構想について、まだ定見があるわけではないので…)。
ということで、今年は、上田貞次郎グループの人口問題研究と、猪間驥一の『日本人の海外活動に関する歴史的調査』の内容の検証に専念したいと考えています。

このメモの最後に、高橋亀吉の『東亜経済ブロック論』(1939年)から、世界経済のブロック化を分析した部分を引用しておきます。『現代朝鮮経済論』(1935年)、『現代台湾経済論』(1937年)と内容は重なっていますが、もっともまとまっているもののように思われますので。
多くの人々の観方の中には、ブロック経済は1929年以降の世界恐慌の克服策として発展したものだという考方がかなり支配的であるようであります。しかしもしこの観方が正しいと致しますと、世界恐慌が克服された暁においては、ブロックというものは無くなってしかるべきだという結論になり得るのであります。然るに、世界恐慌は1935‐6年において一度克服せられたにもかかわらず、ブロック経済的大勢は依然として存続しています。従って、それだけから見ましても、ブロック経済というものの体制は、単に世界恐慌の克服策として生れたものだという観方をしたのでは真相に触れないように考えられるのであります。と共にそういう観方では日満支経済ブロックというものの意義も、これがどういう方向に向いて行くべきかというような問題にも示唆するということがなくなる訳であります。私は世界の経済ブロックの体制をそういう風には見るべきでないと思っている一人なのであります。
ブロック経済は、早くすでに欧州大戦において萌して居った一つの傾向ではないかと考えるのであります。それは、大戦後、国防という立場から各国が各種の自給自足政策を採り始めたことであります。欧州大戦までの戦争におきましては自給自足という風な政策は必ずしも採られて居なかった訳であります。現に日本が日露戦争をやりましても、自給自足政策という風なことは必ずしも採って居ないのであります。然るに欧州戦争は、それが各国経済の総力戦であることが判りました結果として、その後におきまして、あるいは戦争中におきまして、世界各国は、少なくとも軍事必需品、食糧品の自給自足の必要あることを痛感し来り、戦中戦後にかけてその政策が採られた訳であります。これは戦争の規模、戦争の本質というものが従来とは非常に変って来て、莫大の物資を要求せる国家総力戦になって来て、従来の戦争のように、経済力と戦闘力とが分れていた戦争でなく、両者が一体となった戦争になって、かかる大規模の総力戦に対応する為には、従来のような自由通商の経済の下においてはとうていこれが実現出来ないので、自給自足政策を採り始めたという風に解すべきであると思うのであります。
posted by wada at 16:33 | TrackBack(0) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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