2009年03月11日

フィリピンの家族構成A

思いついて、フィリピンの乳児死亡率を検索してみたのですが、驚いたことに、フィリピンではいまだに人口動態の統計が整備されていないのです。1920年代に、猪間驥一が日本の統計の不備を嘆いたより、もっとお粗末な状況が続いているということです。
仕方がないので、国連、ユニセフ、アジア開発銀行、フィリピン保健省等のサイトから、バラバラに拾い集めた数値が以下のものです。
1950〜55(134.2)、1960(80)、1970(60)
1993(34)、1995〜2000(35.5)1995(18.93)、1996(19)、1998(35)、1999(31)
2000〜05(28.1)、2000(15.7/30)、2001(29)、2003(13.7/24.98)、2004(26.0/23.51)、2005(23.51)、2006(21.81)、2007(26.0)、2008(21.0)
70年代、80年代の統計がまったく欠落していますが(マルコス政権下、戒厳令の布告から退陣、さらにアキノ政権までの時期に相当)、大まかに言って、50年代に3桁だった乳児死亡率が、60年代、70年代で、2桁台後半に下がり、約20年間の空白を経て、1990年代、2000年代はそれぞれ30台、20台(10台は地方のデータを除いたものか)で経過しているということが言えると思います。
実は、CBHPが誕生したのは、ちょうどその空白部分、1979年のことでした。
CBHPのプログラムを思いつくままに上げると、栄養指導に始まって、水の浄化法、薬草作り(下痢のときの補液、風邪のときの生姜湯他)、ココナツを利用した石けん作りのセミナーも開かれていました。助産師のグループによる出産の介助もこの枠組みの中で行なわれていたのです。
こうした活動によって、衛生状態が大幅に改善したのは間違いないと思いますが、さらに、乳児死亡率を下げ、少産化を進めた可能性があるようにも思えてきました。
posted by wada at 22:42 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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