そのことが、胎盤処理の歴史を見ると、よく理解できます。胎盤処理の歴史というのは、日本社会に衛生思想が普及していく過程を示すものでもあるのですね。
これを簡単に振り返ると、明治時代の中頃まで、人々は、胎盤を家の庭に埋めるか、ごみとして放擲するかしていたのですね。埋める場合には、生まれた年などによって、場所(方位)を決めることもありました。
明治時代の後期になっても、地方のほうでは、川に棄てるような風習さえあったのを、都市を中心に、処理の方法を規制する動きが出てきました。これが、大正から昭和の初期にかけて、衛生面での向上とともに定着していったものと思われます。
この処理法を、清潔・不潔の基準に照らせば、投棄、埋没、焼却の順に、発達を遂げてきたことになります。
私たちは、ともすると、民俗学的な視点から、胎盤を食する習慣とか、処理の作法(埋没の方位など)を重んじがちですが、胎盤には、出産の象徴としての側面以上に、廃棄物としての側面があったこと、つまり、出産の終了で不用になった「ごみ」であったことは、まぎれもない事実だと思います。
この項を書くのに、主として参考にした、大阪市のサイトには、環境事業として、ごみ処理事業、し尿処理事業、埋火葬事業と並んで、この胞衣汚物処理事業があげられていますが、これも、頷けると思います。
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