2015年04月24日

森戸事件と猪間驥一の意思

 1919年9月、猪間驥一(いのまきいち)は東京帝国大学に新設された経済学部の第一回生として入学しますが、翌1920年の初頭、森戸事件に遭遇します。
 まさか彼がこの事件に深く関わっていたとは思わなかったのですが、ネットで読める神戸大学附属図書館新聞記事文庫を調べていたとき、もののはずみで「猪間」を検索したところ、次の3つの記事がヒットしました。
東京日日新聞 1920.1.16
学生大会の宣言=学問の独立
森戸助教授問題進む
一昨日東大経済部学生大会総長と教授に反省を促す決議
時事新報 1920.1.18
森戸助教授の言論は朝憲紊乱と認め予審を経ずして直ちに東京地方裁判所公判部に廻さる
大正日日新聞 1920.1.21
京大側と呼応して新人会の運動
森戸氏事件と学生大会
経済学部の決議案は握潰か
 直接読んでいただくのがいいのですが、要するに、経済学部学生団体の経友会が、学生大会を開き、「吾人は学問の独立を期す」という宣言、「経済学部教授会及び総長の反省を促す」という決議を発表するのですが、その500余名の学生の代表10名中の一人が猪間だったということです。
 意見の異なる人物を排除しないという態度は、自由主義者、河合栄治郎が身をもって示したことであると(そしてそれが大森義太郎によって裏切られた経緯を)、猪間は書いていますが、もっと早くに自分自身が身をもって示し、その何年か後には、大内兵衛グループの有沢広巳の企みによって東大を追われることになるのですね(大内・有沢・大森はマルクス主義者)。
 念のため、有沢と大森は同じ経済学部の学生でありながら、ここに名前はありません。
posted by wada at 20:49 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする