2014年11月29日

「経済倶楽部だより」よりB

経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年10月28日号)
◇18日臨時午餐会は米国産業復興法に関する小島精一君の第五回目の御講演で、その総括的批判と米国財界の前途観をお伺い致しました。
◇21日は世界経済会議帝国全権深井英五君の歓迎晩餐会を催しました。感想談をたっぷり伺いたいと言う三浦幹事の挨拶に対し、御馳走は雖有(ありがたく)頂戴するけれども話をする方は御礼の付けたい(り)程度に願いたいと応酬し併乍ら会議に於ける各国の懸引やら、種々の提案、それから骨抜きにされた案の決議など、一時間もお話され、非常に有益にして愉快な晩餐会でありました。
◇来る27日午餐会は社債の問題で板橋菊松君、30日には臨時午餐会を催し、田川大吉郎君から『独逸の連盟脱退と国際政局に及ぼす影響』に就いてお話を願う事になって居ます。
経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年11月4日号)
◇30日の臨時午餐会には予定の如く田川大吉郎君より『独逸の連盟脱退と其の国際政局に及ぼす影響』に就てお話を伺いました。同君は独逸の連盟脱退の影響を小いさく見ると云う立場から、独逸の脱退せる経緯及英米の態度を詳説せられ、独逸には対仏戦争の準備なく、戦争の輪を握れる仏国民には、戦争に訴うるの意志がないと見られるから、戦争はなしと断じ、ヒットラーの人物観を述べて、ヒットラーは不渡手形を濫発しているけれども、但し一事の成功せるものあり、それはドイツの統一組織の努力であり、資本家もヒ氏を後援していることを指摘し国際連盟を独逸の脱退に依て傷痍を受けたに相違なかろうが、米国の支持的態度に変りなく、依然として生存を続けておりまた続けて行くこと、日本の脱退せる後の場合と何等異る所なしと説き、連盟は事実上死滅したとの見解もあるが、自分はそう見ないと結ばれ、頗る有益な講演でありました。
 ロンドン世界経済会議に日本全権として出席した日銀副総裁の深井英五が、経済倶楽部の歓迎晩餐会において何を話したのか興味のあるところですが、『経済倶楽部講演』には収録されていません。ただし、近代デジタルライブラリーで、深井英五『回顧七十年』(1941年11月、岩波書店)を読むことができ、ここにはこの晩餐会でも話されたのではないかと思われるような内輪話があって、会議のようすもある程度わかります。
 ロンドン世界経済会議関連の報告書は、近代デジタルライブラリーで様々なものを読むことができます。
 国際聯盟事務局東京支局『国際経済会議と世界経済の現情勢』(1933年5月⇒6月)
 東京政治経済研究所『世界と日本 : 対恐慌工作裡の政治経済「年誌」』(1933年10月、岩波書店)
 三田同学会『国際経済戦略』(1934年1月、千倉書房)
 外務省調査部『最恵国約款適用ノ除外例ニ関スル調査』(1936年)
 東京銀行集会所『銀行叢書. 第29編』(1936年)
 小島精一、板橋菊松、田川大吉郎の講演は、『経済倶楽部講演』に収録されています(ただし近代デジタルライブラリーでは今のところ読めません)。
 小島精一「米国産業復興法と米国経済界の推移に就て」(『経済倶楽部講演 第38輯』)
 田川大吉郎「独逸の国際聯盟脱退と其国際政局に及ぼす影響」・板橋菊松「企業金融の上より観たる新社債制度五題」(『経済倶楽部講演 第41輯』)
 主要なものが近代デジタルライブラリーで読めるというのが、個人的にはとてもうれしいです。いずれもそのうち読もうと思っているものばかりです。

posted by wada at 12:42 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「経済倶楽部だより」よりA

経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年10月7日号)
◇9月29日定例午餐会、当日の講演者は明大教授中瀬勝太郎君、演題は『江戸時代の会計組織と勘定奉行』、徳川の治世が三百年も続いた重要な原因としてその会計組織が巧みに作られ、財政の基礎が強固であったことを特に注意すべきであると指摘し、幕府会計組織の変遷と歴代勘定奉行の財政政策の推移とを幾多の面白い挿話を交えて説明されました。
◇財政是非の喧ましい今日、徳川時代の財政是非成敗の跡を明にする事は、井上財政、高橋財政を論ずるよりも一層面白かったと『続講』の希望が出ています。
経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年10月14日号)
◇2日午餐会は、世界経済会議に報知新聞特派員として出かけられた青木得三君から、『世界経済会議に表れた二大思潮』に就いて御講演を伺いました。
◇ジャーナリストとしてではなく通貨問題研究者としての立場からと前提し、会議に表れた各種の提案や決議に対する批判を述べ、一般的にはエコノミック・ナショナリズムとインタナショナリズムの衝突であったと説明されるけれども要するに、インフレとデフレの二大思潮が対立抗争したものと見るのが当っていると喝破されました。
◇仏国や伊太利には苦がい経験がある。何か知ら二度と再び左様な事はしたくないと言う特種の立場があるのだと思われたと、寧ろ金ブロックの言い分に同情ある口調で結ばれました。
◇13日の午餐会は「社会不安に関する一考察」で清沢洌君、20日午餐会は「米国農業と生糸の前途」で石橋治郎八君からお話を伺う予定です。尚お21日には世界経済会議帝国全権深井日銀副総裁の歓迎晩餐会、23日には太平洋会議から御帰朝の上田貞次郎君、同じく佐藤安之助君の歓迎晩餐会があります。
経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年10月21日号)
◇10月に入ってから、倶楽部では殆ど隔日に午餐会と晩餐会が催され、この先にも四回の午餐会晩餐会が予定されています。
◇一ヵ月に10台回とあっては、会員も呆れたであろうが幹事の方でも「チト勉強が過ぎたかな」と首を捻っています。併し、いずくも同じ非常時ばやり、忙しいとてこぼせるものかは。
◇13日午餐会は清沢洌君、講演は「社会不安に関する一考察」非常時の解剖で、同君の卓見をお伺いしました。
◇日本国民は、その右たる左たるとを問わず、共通の不満を持つ、それは、当然得べきものを当てられて居ないと云う対外的の不満で、遡れば現状維持を内容とする米国の太平洋政策に対する不満であるというのです。
◇この不満が内に発して五・一五事件となり、外に表われて満州事件となった、然もこうした爆発の根源は、要するに農民運動である。農民は現在の文化乃至営利主義的経済にアジャストする事が出来なかった。殊に近年の農村の惨めな状態は、伝統と歴史とをバックとする所謂日本精神となって爆発したというのです。
◇尚同君は元来農民というものは、世界いずれの国でもオルガニゼーションを持たないものであるが、徴兵制度あるがために日本では軍隊を通じて農民の団体的意思表示がある云々と農民と軍隊との関連、原価の社会不安の文化的由来を詳説せられ満場を首肯せしめる処がありました。
 1933年10月には、隔日で講演会を開催していたというのですから、驚きですね。これらの多くが『経済倶楽部講演』として出版されています(以下、★印は、近代デジタルライブラリーで読むことができるもの)。
 青木得三「世界經濟會議に表れたる二大經濟思潮」(『経済倶楽部講演 第35輯』)
 石橋治郎八「現時の蚕糸界 」(『経済倶楽部講演 第36輯』)★
 清沢洌「吾国社会不安に関する一考察」・中瀬勝太郎「徳川幕府の会計組織と勘定奉行」・上田貞次郎「太平洋会議に就て」・佐藤安之助「太平洋会議に就て」(『経済倶楽部講演 第37輯 』)★。

posted by wada at 12:23 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「経済倶楽部だより」より@

 最近、1930年代の『東洋経済新報』を読んでいるのですが、その中からこぼれ情報をいくつか。
 1933年2月、日本が国際連盟からの脱退を表明した後、自由主義経済学者たちは国際会議への参加によって諸外国とのつながりを保つというのが立場を超えた共通認識になっていたように思われます。その主要なものとして次の会議があげられます。
 ジュネーブILO総会(1933年6月8日〜30日)・・・(渡辺鉄蔵)
 ロンドン国際経済会議(1933年6月12日〜7月27日)・・・(深井英五)
 バンフ太平洋会議(1933年8月14日〜26日)・・・(上田貞次郎)
 湛山も国際会議を重要視していたことはすでに述べていますが、それが『東洋経済新報』の「経済倶楽部だより」にもよく表われています。そこで、1933年の9月末から11月初めの記事をご紹介したいと思います。
経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年9月30日号)
◇18日は寔(まこと)に国際労働会議に資本家代表として出席された渡辺鉄蔵君の御帰朝歓迎午餐会後「欧米経済漫談」の題下で有益なご講演を伺いました。
◇ユダヤ人排斥を中心とするナチスの政策に就いては大いに問題の存する点、又、ナチスの存在は生死の境に立てる独逸国民の止むを得ざる消極的容認に過ぎない事情等を説明し、日本でも対米取引先の75%がユダヤ系米人である点に留意を要するのではないかと指摘されました。
◇欧米では、日本人の生活水準が低いと屡々非難されたが、之れに対し、日本の労働者の状態は悪くない、戦前を100とすれば、英国の労銀は186、米国のそれは135に過ぎぬ、然るに日本のそれは268に騰貴し、生活の改善は顕著である、況んやナショナル・レソースを欧米各国が独占している事を忘れて日本を非難するは当を得ないと逆襲し、日本経済界の向上を力説されたとのお話は、再禁止反対論者であるだけに、特に興味深いものがありました。
◇22日の午餐会には日比野少将の「日米海軍の情勢」に関する緊張した御講演を伺いました。
◇米国対日政策の最近の推移、之れに対する日本海軍の用意の具体的状態、日米海軍力の比較、補充計画の軍事的経済的意義、軍縮会議に対する軍備平等論の根拠等に亘って、詳細に且つ赤裸々な御説明がありました。
◇時節柄、速記をとることを差控えたことは遺憾に存じます。
 前半の渡辺鉄蔵は、このとき日本商工会議所の理事で、使用者代表として国際労働総会に参加しています。その自らの演説も含む報告書を近代デジタルライブラリーで読むことができます。
 渡辺銕蔵報告『第十七回国際労働総会経過概要』(1933年7月、日本商工会議所)
 他にも公的機関から出された次のような報告書が収録されています。
 外務省社会局『国際労働総会報告書. 第17回』(1934年3月)
 国際労働局東京支局『千九百三十三年第十七回国際労働総会ニ於テ採択セラレタル条約案及勧告』(1935年9月)
 ついでながら、近代デジタルライブラリーでは、渡辺の次のような著書も読むことができます。
 『都市計畫及住宅政策』(1923年10月)・・・関東大震災の直後に書かれたもの。
 『大正震災所感』(1924年5月)
 『ユダヤ人の世界的分布状態 : 日本とユダヤ人問題』(1938年10月)
 『ナチス統制下のドイツ国民経済』(1939年2月)
 渡辺は、浜口内閣の蔵相、井上準之助のブレーンを務めていた黎明会系リベラリストであり、金解禁論争では、湛山ら東洋経済系リベラリストと対立していました。「経済倶楽部だより」前半の末尾にちょっぴり皮肉が込められているのはそのためですね。

posted by wada at 12:04 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする