2014年05月30日

猪間驥一と地方財政問題2

 猪間驥一の7編の論文を読んでいく前に、地方財政調整交付金制度に関する議論がどのような変遷をたどったのか概説のようなものがあればよいのに、あるいは、この議論が戦前どこまで行き着いたのかあらかじめわかっていると猪間の主張もわかりやすくなるのにと思っていました。
 そこでインターネットで検索していたところ、すばらしいものを見つけました。中村稔彦の「地方財政調整交付金制度創設に関する論議」という論文がそれです。これは日本財政学会第63回大会(2006年10月)における発表のレジュメと思われますが(そしておそらく2008年に刊行された、日本地方自治学会編『地方自治叢書21:格差是正と地方自治』に収められているものだと思われますが)、簡潔で非常にわかりやすくまとめられています。
 これを念頭において猪間の論文を読んでいきたいと思います。
 なお「地方財政調整交付金制度創設に関する論議」はこのタイトルで検索すると読むことができます。1ページにまとめられているので(以下ではその2/3を引用していることになります)、直接、参照されることをおすすめします。
地方団体の財源確保については、国税の地租税と営業税の2 税を地方団体へ委譲するという両税委譲論と、義務教育国庫負担金を増額するという論が展開されていた。

当時内務省の事務官であった三好重夫氏は、前者を地方団体間の財政力格差を更に拡大させるだけで、困窮した地方団体の財政状況を緩和するには至らないとし、後者を地方団体の財政力に対して多少の斟酌が加えられるが、すでに高率の補助を有している貧困の地方団体には配分される負担金はわずかしかないという理由で否定した。その対案として地方団体間の財政力格差是正を狙いとした地方財政調整制度を主張したのである。

昭和7 年、三好氏は同省事務官の永安百治氏らと協力し、わが国初の地方財政調整制度の成文となる「地方財政調整交付金制度要綱案」を作成し、内務省案として公表した。
第2種所得税、資本利子税及び相続税の増徴、それに奢侈税の新設により得たる当時の地方税総額の1 割に相当する約5,700 万円と義務教育費国庫負担金中特別市町村に対する交付金約900 万円を加えた約6,600 万円を特別財源とし、その3 分の1 を人口に比例して、3 分の2 を課税力や公債の償還額等に反比例して、各地方団体に配分するというものであった。内務省案は、地方団体間の財政力格差是正を狙いとした本格的な制度案であり、市町村に対しても府県と同様な配分標準が設定されている点は、モデルとしたイギリスの一般国庫交付金制度よりも精緻であった。

衆議院各派は、内務省案と大同小異の法案を2 度にわたり帝国議会に提出したが、貴族院において、交付金を一般財源ではなく、国の委任事務を遂行するための特定財源とすべきであること、制度創設に関しては、国と地方の税制改正と同時に行うべきであること等が主張されたため、いずれも審議未了となり、実現するには至らなかった。
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2014年05月28日

寄り道:時局匡救事業

 近代デジタルライブラリーのサイトから「匡救(きょうきゅう)事業」で検索すると31冊の書物がヒットします。このうち写真で事業のようすがうかがえるものが以下の6冊です(★印はとくに写真が豊富)。
@ 農林省山林局編『営林局署ノ実施セル匡救事業及効果』(1933年8月)★
A 群馬県林務課編『群馬県之林業』(1934年4月)
B 愛媛県耕地協会編『時局匡救耕地関係農業土木事業誌』(1935年10月)★
C 羽咋郡富来町編『時局匡救事業記念誌 : 昭和7-9年度』(1936年9月)
D 千葉県経済部編『千葉県の林業』(1935年10月)
E 名古屋市土木部編『名古屋都市計画及都市計画事業. 昭和12年版』(1937年3月)

 私はこの事業を、雇用を生み出すだけのためのものと思っていましたが(猪間驥一もあまり評価していなかったような印象があり)、これらの写真を見る限り、少なくとも事業のための事業というようなものではなくちゃんとしたもののように見受けられます。
 それではこの事業の何が問題だったのか。
 同じ「匡救事業」から、『第六十五回帝国議会代表雄弁集』(1934年3月)に収められた田子一民の2月13日衆議院本会議における発言「時局匡救事業を中心として」を拾うことができるのですが、それを読むと、田子は、斉藤内閣(斎藤実首相、高橋是清蔵相)が当初、土木事業の徹底的実施といっていたにもかかわらず、進行が滞っていることを批判していることがわかります。
 1932年の政府声明では「国費三年間に六億円、地方費二億円」であったものが、1933年2月の時点で提出された予算案では「国費五億、地方費に於て三億」となっていること、つまり、「事業費の切下げ」「事業の打切り」に対するものであり、地方窮乏の実状を見て計画された国費で負担すべきものが、実際には地方費に転嫁されていたことに対するものだったのです。
 その結果、何が起こっていたのか。「無用の長物と化した諸施設」という項には、「故に田を作らんが為に畑を開田をして、そうしてそれには水路がない、或は水路はあるが溜池がない。水路は付いたが電気のポンプは付かない、故に田にもならず畑にもならずにと云うような、利用価値の乏しいものが所々に起って居ります」あるいは「内務関係に見ますると道路は半ばまではトラックは通じるが、昭和九年度の実施がない為に、トラックは途中で止まり、道路としての利用価値が乏しいと云う所もあります」というような事例が上げられ、「此の打切に依って地方農民の苦しむことの惨状は、想像に余りあるのであります」と締めくくられています。
 さらに、ここが重要なところですが、田子の批判の核心は、「軍需工業に多くが回されている」という事業費配分の問題にあります。「土木匡救事業四千六百万円に対して、陸海軍両省の匡救事業費は四億一千万」という巨額なものであったというのです。何と10倍近い事業費が投入されていたのですね(追記これに対する石橋湛山の異なった考え方については後に触れます)。
 「猪間驥一と地方財政問題」を考えていく上で、おさえておかなければならない問題だと思いちょっと寄り道してみました。
 田子一民というと10年ほど前『社会事業』を読んだことを覚えていますが、これもいま、近代デジタルライブラリーで読めるのですね。
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2014年05月26日

猪間驥一と地方財政問題1

 先日、TPP交渉を見据えながら、ガット・ウルグアイラウンド交渉過程の検証で見えてきた日本農政の課題をお話されるということで、冨田清行氏の「ウルグアイラウンドと農業政策」と題する講演を聴きにいきました。
 非常に示唆に富む内容で学ぶところが多かったのですが、当日いただいたパンフレットから要点を拾うと次のようになるかと思います。
 まずガット・ウルグアイラウンドとは何か。
・日本は戦後、輸入制限や直接管理を行ってきた農産物貿易について、貿易自由化交渉を通じてすべての農産物の輸入制限品目を関税化し、関税率を引き下げてきた。
・貿易自由化に向けた転機として直近で最も大きな影響を及ぼしたのがガット・ウルグアイラウンド。
 「要旨」からとくに私の注意を惹いた点は、
・コメの関税化反対という政治的圧力が、日本の交渉の選択肢を狭め、冷静な判断を困難にした。
・当初より関税化を受け入れていれば、輸入する必要がなかった加重されたミニマム・アクセス米(7.2%-5%分)は、現在も輸入されている。
・国内コメ市場への影響を最小にするという目的に照らせば関税化拒否は判断ミス。
 つまりコメの関税化は反対すべきではなかったということです。
 また一方で、
・ガット・ウルグアイラウンド関連対策費は、当初政府から示された3.5兆円が政治主導により2日後に6.01兆円へと増額された。政治の関心はここに集中した。
・対策費6兆100億円の半分が、農業土木である農業農村整備事業に費やされたが、当時の国の公共事業に占める農業農村整備事業の割合の推移を見ると突出したものではない。
・メディアから、ガット・ウルグアイラウンド対策は農業振興等の目的から外れた事業があると批判されたが、実態は従来から行われてきた農林水産省の事業と同質のものであった。
 つまり、いわれているような多額の対策費の「バラマキ」に終ったのではなかったということです。
 こうしたことを踏まえ、富田氏はTPP交渉において選択を誤るなという重要なメッセージを発せられているわけですが、この中に「納税者に説明できる農業政策」という視点が大切という指摘があって、ここに私は、目が開かれる思いと同時に、何かしら既視感のようなものを覚えたのです。
 それが、自由貿易との関係で語られる地方財政の問題だったと思います。1930年代、猪間驥一は、自由貿易(実際には関税障壁の緩和)を訴える上田貞次郎グループで人口問題研究に取り組みながら、一方で、疲弊する農村経済をどう手当てするかという問題にも取り組んでいたのです。
 目が開かれたというのは、これまで私が放置してきた猪間の地方財政問題に関する論文(以下の7編)を、猪間が「納税者に説明できる農業政策」という視点に類するものをもっていたとするなら、読み解きができるのではないかと考えるようになったことです。
 1935年5月「第六十七議会に於ける都市及地方問題」
 1935年8月「歴代内閣の地方財政対策−地方財政改善方策の沿革的研究」
 1935年9月「地方財政整理論の種々相−地方財政改善方策に関する沿革的研究(続)」
 1935年11月「地方財政調整交付金制度の生誕−地方財政改善方策に関する沿革的研究(続)」
 1936年2月「臨時町村財政補給金案の配分標準に関する疑問」
 1936年4月「臨時町村財政補給金案の配分標準に関する疑問(続)」
 1936年11月「地方財税制改革案要綱の数字的検討」
 これによって、『猪間驥一評伝』では尻切れトンボに終わった感のある、猪間や上田だけでなく、石橋湛山が、都市と地方の問題を対立するものではなく一体のものととらえていたこと、そしてこれらの経済学者たちが、産業立国・貿易立国のための大きなヴィジョンを共有していたことを明らかにできるのではないかとも考えています。

 猪間は、「地方財政調整交付金制度の創設に就て、力を致された当局者」として以下の4人(猪間とほぼ同世代)の名前を上げていますが、この中でもとくに永安百治に注目していたようです。
 大村清一(1892-1968)
 三好重夫(1898-1982)
 安井英二(1890-1982)
 永安百治(1895-1943)
 永安百治については以下の著作が比較的容易に読むことができます(★は近代デジタルライブラリーに収録)。
 1932年5月「戸数割代税の現状」(全国都市問題会議編『第3回全国都市問題会議総会1研究報告』)★
 1932年7月「戸数割代税の現状と其改正/市町村民の負担並市町村の税制問題」(『都市問題』)
 1933年3月「付録 地方財政調整交付金制度」(三好重夫『地方財政改革論』)★
 1933年4月『地方財政調整論』★
 1934年3月「不当なる特別所得税/東京市新増税計画批判」(『都市問題』)
 1935年9月「地方財政調整制度の本旨」(『都市問題』)
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2014年05月20日

原田泰さんの書評とご著書

 日本統計協会が出している月刊誌『統計』5月号に、経済学者の原田泰さんが『猪間驥一評伝』の書評を書いてくださいました。
 『評伝』の書評という形を取りながら、それ自体が、猪間の評伝になっているというすばらしいもので、猪間のことがとてもよくわかり、これをいうと笑われてしまうかもしれませんが、もう『評伝』は読まなくてもよいので、この書評だけはぜひ読んでくださいとお願いしたいです。
 実は最近になって、原田さんが『日本国の原則―自由と民主主義を問い直す―』というご本を書かれていたことを知りました(そしてつい先日、この作品で石橋湛山賞を受賞されていることも知りました。そうとも知らず、先生へのメールに思い切ったことをいろいろ書いてしまい、穴でもあったら入りたい気持ちです)。
 『評伝』の書評には、このご著書の内容が踏まえられていました。
 それは、「日本国の原則」として語られるもので、「日本は自由の国であり、自由であるがゆえに成功した。日本は官主導の国家ではなかったし、そういう面があったにしても、それは成功しなかった」ということ、つまり、「日本の経済発展は自由のゆえ」で「明治維新後、戦前、戦時、戦後復興、その後を通じて、官僚統制が成功したことはなかった」のであり、その日本が誤った道に逸れてしまったのは、1930年代の半ばに統制経済への道を歩んだからであると、明快かつ端的に述べられているのでした。
 これはまさに、猪間驥一が『日本人の海外活動に関する歴史的調査』総論で描いていた日本近代史に重なるとらえ方で、私が長い間、どなたかこのようなものを書いてくださらないかと待ち望んでいた本でした。もっと早くに気づいていたら、猪間のことを書くのにこんなに苦労をしなくてすんだのにと悔しい思いをしています(そもそも猪間の書いたものが最初に原田さんの眼にとまっていたら、猪間にとっても私にとっても、これ以上の幸せはなかったのではないでしょうか)。
 原田さんは、私信の中で、「猪間という人は、歴史の大事な場面に立ち会って、平和的、人道的な解決策を提示した人だと思います。巡回産婆も彼の人道主義のなせることでしょうし、人口問題の解決策もそうです。高橋財政の評価もそうです。それぞれの場面で、一冊の本が書けるぐらいの人だと思いました」と書いてくださいました。
 さらに猪間研究の今後についても、様々な側面からアドバイスいただきました。大学院では、今書こうとしている論文の中で、日本資本主義論争の意義について展開すべきといわれて気が滅入っていたのですが、一気に吹っ切れて、あらたな意欲もわいてきました。
 これから取り組もうと思っているのが、次回詳しく書きますが、猪間が、上田貞次郎の背広ゼミナールとは別に、若い内務省官吏たちと行っていた地方財政問題の研究です。これまで、自分にはとても無理と思っていたテーマですが、原田さんの書評とご著書のおかげで、何とかやれそうな気がしてきました。
posted by wada at 08:47 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする