前述の「石橋湛山さんとクラーク博士」は、次のように続きます。「(石橋さんに)教わったことには、経済論もあり、時事世潮に対する見方についてのこともある。しかし一番教わったのは、筆を執る者は、局に当たったら自分が実行せねばならないという責任を思え、ということである」
私には、この「筆を執る者」の心構えというのが、この『歴史的調査』編纂のとき、猪間が自らに課していたものに思えてなりません。
同じパラグラフには、「私は私の政治的良心に従います」という湛山の総理辞任の辞が引用されていますが、これは、単に湛山の人となりを紹介したものではなく、この歴史的な大仕事をなした自分をjustifyするためのものではなかったでしょうか。つまり、自分は、良心に恥じることなく、この重責を果たしましたという密やかな宣言を込めたもので・・・。
私は、猪間が執筆したと思われる、総論の一部分を読んだにすぎませんが、正直なところ、政治的なバイアスがかかっているようには思えませんし、小林氏が述べているように、タイトルの「海外活動」ということばが、「暢気な表現」にも思われません。むしろ、政治的バイアスがかかっていても当然であるこの種の文書が、統計的数字に裏打ちされた、歴史書としてもその後に類を見ない客観性をもっていることに驚きを禁じえなかったほどです。
猪間は生涯、この書について口外することはなかったようです。
ただ、湛山の公職復帰と時期を合わせるように、彼の政治的発言、言論活動が活発になります。そのまま行けば湛山のブレーンにでもなるのではないかと思われた矢先・・・こうした活動が、突然、沙汰止みになります。1952年の夏、猪間の長男が自殺するのです。
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