2018年07月03日

お知らせ

2018年度「後藤新平の会」シンポジウム
後藤新平の「生を衛る道」を考える
2018年7月7日(土)13時
日本プレスセンターABCホール

私も参加します、
詳細は、以下をご参照ください。
http://fujiwara-shoten.co.jp/main/news/archives/2018/06/772018.php
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2018年04月11日

猪間驥一東大経済学部追放事件

来年、東京大学経済学部創立100周年(猪間驥一没後50年)を迎えるのに合わせて
「1924年の猪間驥一東京帝国大学経済学部追放事件」(『明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻紀要』第41号、2017年3月)を書きました。
読んでくださる方があればご連絡いただければ幸いです。
posted by wada at 20:29| 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月30日

悪夢のような記事

昨日、私にはめずらしく、原田泰さんの講演会があるのを事前に察知し、
終了時間を推定し、1時間後には日銀のホームページでその内容をチェックし、
本日プリントアウトしてゆっくり味わおうと楽しみにしていました。
ところが今朝目覚めてパソコンを開くと、ニューズウィーク日本版に
「日銀の原田審議委員「ヒトラーが正しい財政・金融政策をして悲劇起きた」」
という記事が載ったという情報が飛び込んできて、
あまりの驚きに悪夢を見ているかのような思いにとらわれました。
とりあえず思いついたのは、ニューズウィークの問い合わせフォームを利用して、
抗議のメールを出すことだけでした。

先程帰宅して、田中秀臣さんが同誌に反論を投稿されているのを知りました。
「日銀の原田泰審議委員はヒトラーを賞賛してはいない。ロイターの記事は誤解を招く」
http://www.newsweekjapan.jp/tanaka/2017/06/post-11.php
もっともわかりやすい解説記事だと思いますので、ぜひお読みください。

元の記事の海外版の見出しは、
Bank of Japan policymaker Yutaka Harada praises Hitler's economic policies…
「原田泰日銀政策委員がヒトラーの経済政策を賞賛した」
となっているそうです。
どこをどう読んで、こんな解釈が成り立ち、これだけ悪意に満ちたことがやれるのか。
念のため、記事を編集した田巻一彦という人のことを調べてみると、
ここには書きませんが、昔の左翼の活動家にありがちなタイプの人でした。
最近の報道番組を見ていると、こういうジャーナリストの発言ばかり目立って、
辟易させられます。

どうか皆様、来る7月2日の東京都議会議員選挙では、
この田巻一彦のお仲間が応援しているような政党にだけは投票されませんように。

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2016年05月24日

お知らせ

 現在、拙論が明治学院大学の機関リポジトリで公開されています。
 ご興味のある部分だけでも読んでいただければ幸いです。

●自由主義経済学者、猪間驥一の人口問題研究およびその近代史認識
−1920〜1940年代の考察−
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/handle/10723/2662
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2012年度博論提出後の経過

 経過だけをかんたんに記します。

 ●2012年10月、博論を提出する。
 ●11月に予定されていた審査会は、キャンセルになる(事前の連絡はなく、直前にこちらから連絡して判明する)
 ●2013年1月初めに審査会が開かれる。
 ●主査の先生に、2月の期日までに修正が可能かを問われ、「やります」と答える。
 ●提出日の前日、指導教官に前もって原稿を渡そうとすると、中を見ないで、「あの話(提出)は、なしになりました」といわれる。主査の先生との約束はどうなるかと問うと「自分が話すからいい」といわれる。私は博士号の取得ではなく、指導を受けるために大学院に来ているので、「こんな状態が続くのでは困ります」というと、怒って、「じゃ読みます」といって、原稿をもって自分の研究室へ行かれる。帰宅すると、電子データも送るようにというメールと、全体の1/2に対するコメントが届いている(残りの1/2についてはその後もコメントはないまま)。
 ●その後、つじつま合わせのためか、博士論文取り下げを強要される(一度も入ったことのない教官の研究室で、教官のパソコンを用いて、取下げ願いの書類を作成させられる)。事務室より、取り下げをすると特別研究生になれないという通知がありいったん取り下げを中止するが、その後、この教官が事務室にねじ込んで、取り下げと特別研究生になることを認めさせる。
 ●私は賞をいただいた出版社で猪間驥一の『評伝』を出す予定があったが(入学後、博論を書き上げるまで延期するようこの教官にいわれ、出版社にもその交渉させられていた)、副査の先生がこの出版社の事情に詳しいということで、先生方の共同研究室で、二人で私を囲むようにして、いかにこの出版社の経営状態が悪いかを繰り返し語り、他の出版社での出版を示唆され、連絡を取らないよう忠告される。出版社は猪間家からたくさんの写真を預かっており、その返却のために連絡を取る必要があると訴えたが、二人は「それはまずいですね」と繰り返すばかりであった。
 ●博論取り下げにより、私の2012年度の業績がないことになり、奨励金の返還を申し渡されるが、教官からは「その点は気づきませんでした」というメールがあったのみ。私は2012年度の『紀要』に小論文の発表を予定していたが、これを、「博論と重なるのはまずい」と止めたのはこの教官であった。

 その後、間に入ってくださる先生があって、スケジュールを立て、主査・副査の先生を代えてくださり、外部審査委員の人選についても私の希望を聞いてくださったので、この大学院での博論提出を決めました。
 博論提出以降の連絡等も、この先生がすべてやってくださったのでとてもスムーズでした。
 指導教官に関しては、第1回目の審査会は大遅刻(1時間前から主査・副査の先生方が全館を捜されていたのですが)、外部審査委員を迎えての第2回目の審査会は欠席(連絡もつかない)という状況だったことを付け加えておきます。
posted by wada at 16:21 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

指導教官が求めたことG

【2014年5月18日】
 その数日後、私は思いあぐねて、『猪間驥一評伝』の書評を書いてくださった先生にお礼のメールを出すとき、IS教授の「和田みき子氏博士論文への注文」を読んでいただくことにしました。
 その先生からは以下のコメントをいただきました。このコメントに私は救われたのです。
和田様

うーん、添付ファイルを読むと、この方針で直すのは無理ですね。

添付ファイルに分量は書いてありますが、和田さんが書いていることとほとんど関係のないことが書いてあるだけですから。この部分には違う見方があるから反論するか取り下げるかどちらかにしろとか、根拠が甘い、文献的証拠を追加せよとか、言ってくれないとどうしようもないですね。

歴史はイデオロギーですから、最初に、イデオロギーで一致する先生を探さないとどうしようもないですね。

IS先生とはイデオロギーで一致せず、IS先生はご自身よりももっと正統的なマルクス主義歴史学者(注:変更前の主査・副査の先生方)に反論して和田さんの論文を生かすのが面倒になったのでしょうね。
(……)
 私の書くことはけっきょく誰にも理解されないのかと絶望的な気持ちになっていたところに、このコメントをいただいて、私はあらためて、自分の意思を曲げずに「博論」を書こうと決心しました。
 
◎「指導教官が求めたこと」はとりあえずここまでとします。
◎「論文要旨」を近いうちに紹介させていただきます。

ラベル:猪間驥一
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指導教授が求めたことF

【2014年5月10日】
 指導教官からの反論。けっきょく段階論から抜け出せないご自身のことは棚に上げておられますが、そんな自分を説得できなければダメというわけですね。
和田様

繰り返しになりますが、「間違っている」と断言するだけではだめで、いちいち論拠を挙げて説得する必要があるのです。読み手が説得されなければ、それは単純に書き手の負けなのです。

「間違っている」という断言が意味を持つのは、聞き手がすでに語り手の権威なり正当性を受容している場合のみであり、そのような場合には、説得されなくとも「説得されない自分が悪いのだろう、では自分のどこが誤っているのか」との自己点検が始まります。
和田さんの場合には、そのステップが不足しています。このままでは、すでに結論を共有している相手としか話が通じない恐れがあります。

あるいは、たとえば政治哲学において、ロールズがやってのけたように、あえて至近の伝統を無視して、新しいゲームを始める、ということも不可能ではないですが、それこそロールズのように、その後万単位の研究者がそれを飯の種にできるほどのスケールの著作を一挙に提示しなければ無理です。

また学の伝統というものに対しても認識が不足していると考えます。日本資本主義論争自体は同時代的には日本のマルクス主義者の狭いサークルの中でのかなりどうでもよい論争でしたが、それでも思想史的には後世にほどほどの影響を及ぼしましたし、またこの論争で提起された論理自体は、割合普遍的で、あちこちに姿を変えて再現されるようなものだったと考えます。戦後において二重経済論、ルイス的転換点として山田盛太郎が読み替えられたのもその一例でしょう。

歴史学に限らず実証科学においては、間違った前提から出発したとしても、事実の発掘を丹念に行っている限り、必ずしもそれ以降すべての蓄積が無意味となるものではありません。その蓄積の結果終には誤った前提が見直される可能性は常に残されています。

和田さんの言う「戦後の歴史学」はすべてがマルクス主義に尽くされるわけではなく、経済史学においても安場や中村という先達が存在し、講座派マルクス主義の立場をとりながらも原朗は中村の弟子でもありました。マルクス主義者の中での労農派系・講座派系の緊張関係はもちろん、近代経済学系においても講座派的な二重構造論につく者もいればそうではない者もおりました。講座派的な問題意識はことに岡崎哲二以降、青木昌彦的な制度分析の枠組みに読み替えて継承されていったきらいがあります。他方で計量経済史の研究者は、こうした制度分析に対しては(「実証性が甘い」と)警戒していました。
しかし大体において経済史学の領域においては、時間を経る中で立場や理論枠組みを異にするものの間の緩やかな連帯というべきものは生じてきていたと思います。戦後日本経済史学のメインストリームは実のところ講座派と宇野派の折衷であり、しかも70〜80年代に「独占段階への移行」が焦点だった時代には、主たる分析用具は近代経済学的な、ベイン流の(旧)産業組織論でした。結構いい加減なものです。
もちろん緊張関係はあります。(ある講座ものに執筆する際、中村は「国家独占資本主義などというタームをタイトルにつけた本には書かない」とごねたというエピソードが残っています。)

経済成長をこの時期のすべての論者が軽視している、というのも全くの誤りです。ある時期以降宇野派の実証研究者のほとんどは、近代経済学の普通の研究者と同様、日本資本主義の成長力をほぼ留保なしで肯定するようになっています。もっとも明確に開き直ったのは80年代の橋本寿朗ですが、実質的にはそれ以前から一部の研究者はそんな感じでした。宇野派の産業研究者の多くは80年代以降は実際には経営学者になっています。そもそもマルクス主義は本来どうしようもない成長主義なのであり、成長主義と反資本主義を両立させていたのが元々の姿なのですが、80年代以降分岐していくのです。
そうではなく、経済におけるマネタリーな側面を軽視し、ケインズ主義を財政に偏って理解し、金融政策無効論にとらわれていた、の方が適切な批判です。それについても、なぜそうなってしまったかについての理由までさかのぼっての批判が必要です。
(……)
posted by wada at 17:34 | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

指導教官が求めたことE

【2014年5月10日】
 同じ日の私からの返信です。
IS先生

私の言わんとしていることが理解されていないように思います。

私は先生(方)のもっておられる歴史認識の枠組みが間違っていると思っています。
戦後の歴史学は、その間違った枠組みの中で増殖を続けているだけでしたがってその中にどっぷり浸かって議論するのは時間の無駄だとも考えています。

『歴史的調査』一つを例に取っても私は、自分たちが「植民地主義を肯定する立場から書かれたもの」で、「思想的にバイヤスのかかったもの」と規定してきたものが、実は貿易立国を実現するために尽力した人々によって書かれ、しかもその背景には湛山がいて、その小日本主義をいかに実現しようとしてきたかについて述べたものであることを知った後にも何の違和感・危機感も感じないでいられる、そのような感性に半ばあきれ果ててもいます。
日本資本主義論争にしてもその影響を論ずるより、猪間の書いた日本資本主義発達史をじっくり読んでみることのほうが大事という発想にはならないのでしょうか。
(……)
日本資本主義論争は、矮小な人々が行っただけでなく、矮小な内容だったから価値がないのだと思います。湛山も猪間も加わらなかった論争です。
(……)
日本資本主義論争に限らず、先生の挙げられている研究者たちは経済発展をどこかでセーブしなければならないものと考えている点で限界があると思います。
湛山も猪間も上田も亀吉もそんなふうには考えてなかったこと、しかしそのことを研究者の誰一人として認識していないのは不思議な現象ともいえます。
上田グループの人口問題研究や国際会議における活動が見逃されているところ、というより今日的にも重要なその意義をいまだに理解できないでいるところにもそれがよく表われていると思います。
(……)

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指導教官が求めたことD

【2014年5月10日】
 5月7日に、論文チェックのスケジュール等について、高圧的な調子のメールが届きますが、それは後に触れるとして、ここでは5月10日のやり取りをご紹介します。
和田様

(……)
和田さんの問題意識をどう表現すればわかりやすくなるかは難しい問題です。
一番適切な書き方は、あたかも文学研究でなされるように、テキストの校訂を行う、この場合ですと一番問題になる『報告書』テキスト形成の歴史的経緯の綿密な検討のみならず、本文についても章どころかパラグラフごと、あるいは一文一文、猪間の文体や問題設定の癖を考慮に置き、どこからどこまでが猪間の筆になるか、そしてほかの箇所は誰が、といった問題を明らかにしていく、ではないかなとも思ったりもしますが……。

何か和田さんのお話を聞いていると「別に自分には言いたいことはなく、猪間のテキストと事績を紹介すればおのずと明らかになる」とおっしゃりたいようにも聞こえます。それにふさわしいスタイルとなると、上記のような感じかな、と。
しかしそれは文学や哲学史の一部の論文ではなされますが、あまり社会科学界隈ではなされないのです。社会科学界隈では学説史研究も、どうしても自分の土俵での再構成を求められます。引用を並べて「彼らはこういった。これより明らかである」では相手にされません。自分の意見を交えずに学術研究と評価されるには、それこそテキスト校訂・資料批判のスタイルに特化しないとならないような……。

日本資本主義論争ですが、同時代的かつ社会史的にはそれ自体が矮小な問題であったという観点はあり得ます、というより実際そうだったとは思います。その意味では金解禁論争や、更に大日本主義・小日本主義をめぐる論争の方がはるかに重要です。ですから「矮小な問題として検討はしない」と書くことは可能ですが、書き方というものがあります。つまりそれが矮小であることを説得的に提示しないといけないわけです。「矮小な人間たちがやったことだから」だけではだめです。「矮小な人間たちが重要な問題について考えていたとしたらどうなのか?」という疑問に反論できません。また矮小性自体の論証も結構重要で、単なる感情的評価や陰謀論と思われないためには、陰謀の証拠を提示しないとならないのも確かです。

私見では、思想的に言うとこの矮小な日本資本主義論争における問題のセッティング――マクロ面を無視してのミクロレベルでの、日本経済の成長体質についての議論(二重構造は重要か否か、等)は、やはりマルクス主義系の経済史研究のみならず、安場保吉、中村隆英、速水佑次郎といった戦後日本の経済発展研究のリーダーたちの問題意識を規定しています。また大日本主義・小日本主義論争は、米谷匡史が変に重視する昭和研究会その他革新主義の議論の動向をも規定しているのであり、戦後の左右の帝国主義観にも影響を与えています。戦時下の石橋湛山の言説、あるいは『報告書』その他から見えてくる猪間や鈴木武雄の問題意識は、それらを小日本主義の精神を引き継ぎつつ批判するものと解釈することも可能でしょう。資本主義論争の一国レベルの発展論は、マクロとつながりにくい論点ですが、大日本主義の問題は国際通貨等を通じてマクロとつながりますので、重要だと思います。
(……)

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指導教官が求めたことC

【2014年4月29日】
 この「注文」に対して、私は教授に直接会う機会があって反論をしています。その反論をメモとして残しておいたものが以下のファイルです。
 IS教授「博士論文への注文」への疑問
・猪間は思想家ではない、学説を展開した経済学者でないことをまず確認したい。猪間の人口問題研究の意義は、自身のことばでいえは“イズム”を排している点にある。これは、湛山が政治思想や政党で選ぶのではなく「政策」で選ぶ姿勢にも通じるものがある。なぜあえて思想家たるまいとしたのか、人口論争にも、資本主義論争にも、参加しなかったのか(金解禁論争は経済政策論争であることに注意)、この重要な点が理解されていないように思われる。
・「注文」にあるような論文を書くのであれば、猪間は不要。ほとんど持ち出す意味がない。湛山の評論を追えばよい。
(……)
・「(戦争を)なぜ回避できなかったのか」だけを問うのでは意味がない。「回避して何をしようとしていたのか、そのために何を用意していたのか、どのようなヴィジョンがあったのか」が重要。これまでの歴史学はこれを問うていない。ただ反対すればよかったのか、革命が起こればよかったのか、という問題にもつながる。
・「失敗のプログラム」というような捉え方も間違い。根底に歴史にはレールが敷かれているというマルクス主義的史観がある。現実には、あるときある状況下でのある程度の見通しがあるのみである。あやまった政策を選択する指導者はいつの時代にもいることは、今日の状況を見てもわかる。
・「日本資本主義論争」に肩入れしすぎ。この論争は、前提に「革命」がある。革命が必要だったのかという議論には決着がついているのではないか。猪間は、そして湛山も、この論争にはかかわっていないし、興味も持っていない。彼らがかかわるのは経済政策にかかわるもの。
(……)
・「日本資本主義論争」の影響の大きさが、重要性の評価基準となるか。この影響力は左翼とそのシンパサイザーへの影響力。これらの人々が、実態の把握に問題のある十五年戦争という史観をかかげて1930年代の歴史的空白を作っているという認識も必要である。
・思想をいうのであれば、その質を問うべきであろう。少なくとも、日本資本主義論争の一翼を担っていたのが、猪間を東大から追放したような勢力であることは踏まえておくべきであろう。そういうレベルの人々による論争であったこと、これを後生大事に考えている人々をこそ、いったん疑ってみるべきだろう。

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